2015年11月06日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その1

元気・まちネットの代表:矢口が、イザベラ・バードの山形路を追体験。
今回は赤湯〜及位(のぞき)まで、自分の足のみで辿る"がち"歩く旅。
旅のレポート「北遊草」をお届けします。
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【5月4日(月)晴れ、赤湯〜天童/約55km】

 東京駅6時12分発「つばさ」に乗る。GWだというのに意外と空いているのはちょっと驚いた。同行予定だった高橋さんは家族サービス、佐野さんは仕事が多忙なため、今回は一人旅となった。
 考えてみればこれまであまり一人旅はしたことがなかったように思う。決して嫌いではないのだが、一人旅の寂しさみたいのがあったのだと思う。人間はいずれ死ぬときは一人なのだから、旅ぐらい一人で出来なくてはこの先どうなるのだ。なんて思いながら友人とメールのやりとりをしているうちにつばさは定刻通り赤湯駅に到着した。改札を出るやなんと喪服姿の沼沢君が・・・これから旅が始まるというのに縁起でもない。(笑)

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 沼沢君にこれと言った用事があったわけではないのだが、旅の始まりが赤湯駅では、彼に黙ってスタートすることは出来ないということで、予め沼沢君には連絡しておいたのだ。
「どこまで行くんですか?」「及位(のぞき)まで」「えっ、及位?どのぐらいあるんですか?」「150km」「そりゃ無理ですよ」「まあ、何とかなるでしょ、行けるとこまで行ってみるよ」・・・そんなやりとりをして午前8時50分、赤湯駅をスタートする。駅から東に3kmほど進むと赤湯の温泉街が現れる。

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 イザベラ・バードは赤湯温泉に泊まる予定にしていたのだが、「三味線をかき鳴らし、琴をきぃきぃ弾き、その音に我慢出来なかった」ので、そこから16マイル(約25km)離れた上ノ山温泉まで足を延ばしたのである。温泉街を抜け、白竜湖を右に見ながら取上坂(鳥上坂)を上り、レンガ造りの隧道をくぐり抜け、羽前中山駅を目指す。周りの畑地にはサトザクラは満開を迎えていた。

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 スタートして2時間あまり歩いて午前11時30分、中山駅を通過、すると突然ビバルディの四季が流れてくる。どこで何のために流しているのだろう?そんなことを考えながら歩いていると、上山温泉が近づいて来た。バードが祭りの前夜に立ち寄ったという石崎神社を左手に観ながら、石井さんと待ち合わせしていた上山温泉街カミン(百貨店)に12時ちょうどに到着した。

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 石井さんとのお付き合いは長く、イザベラ・バードの山形路を踏査した2007年、バードに関する資料をまとめて会社に送って下さった方で、踏査・検証の途中、お世話になる「はたや旅館」の前に立ち、笑顔で迎えてくれたときの人なつこそうな笑顔は今でも忘れられない。

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(写真は2007年初踏査の時のもの)

スポーツイベントの合間を縫って会いに来てくれた。嬉しい限りである。昼時だったこともあり、そば屋で昼食を食べながらバードの思い出に浸る。ゆっくりはできなかったが、それでも2時間近く話をすることが出来た。

 石井さんに見送られ午後1時50分、「さかえ蕎麦店」を出発する。斉藤茂吉記念館を過ぎ、旧羽州街道を山形に向かう。途中リナワールド(遊園地)付近で雨が落ちて来た。タブレットやカメラを持っていたので慌ててコンビニに入りビニール傘を購入したが、それ以降、降る様子はなく、傘を持って歩くことになる。体も足も快調だが、7kgあるバッグを背負っての歩きは結構しんどい。
 午後3時過ぎ山形市内に入ったが、予定より時間がかかっている。山形キャッスルホテル前で元山形新聞のカメラマンだった色摩さんと3時半ごろに会うことになっていたのが、この分だと少し遅れそうだ。途中自転車に乗ったおじさんが、背負っている旗を見て「なんで歩いてるの?」と聞かれたりして、色摩さんと会えたのは午後4時になっていた。冷たい飲み物を頂き少し元気を回復する。夕方の再会を約束して再び歩き出す。『・・・大通りの奥の正面に堂々と県庁があるので、日本の都会には珍しく重量感がある。どの都会も町はずれはとても貧弱だが、新しい県庁の高くて白い建物が低い灰色の家並みの上に聳えて見えるのは、大きな驚きを与えるー高梨健吉著・日本奥地紀行よりー』と、七日町通りから見た県庁(現文翔館)を書いている。歩き始めてすでに30kmが過ぎ、足の小指にわずかだが痛みを感じるようになって来た。

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 馬見ヶ崎川に掛かる千歳橋を渡ったときはすでに午後6時(18:10)を過ぎていた。
歩き始めて約40km、9時間を優に超えている。天童までは残り11km、何時ごろ到着するのだろう、ちょいとばかり不安になって来た。早朝ウオーキングでは10kmを90分〜100分で歩けているが、7kgのバッグを背負って歩くのは初めての経験で、どのぐらい掛かるのか全く予想がつかない。倍かかったとして200分ということは3時間20分、到着は午後9時半か・・・友人に「遅くなった場合に備え反射テープを持って行ったら?」と言われたことを思い出す。

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 ここからの旧街道(羽州街道)は道幅が狭く、歩道は側溝幅しかなく歩きに上に、街灯もないので後ろから来る車のライトを頼りに歩くしかない。それでも歩を止めるわけにはいかず、ひたすら歩き続ける。真っ暗闇の中、狭い歩道をずんずん進む。頭にあるのは、奥羽本線の跨線橋であそこまで行ければ天童の町の明かりが見えてくるはずで、とにかくひたすら歩く。
ときどき仲間から届く激励メールが唯一、萎える気持ちを奮い立たせてくれる。足裏の肉刺(マメ)もだんだん痛みが増してきた。そうこうして歩いていると歩道の高さが少しずつ増してきて跨線橋らしき雰囲気になってきて、電車が通る音も聞こえて来た。やっと天童のまちの灯りが見えてきた。涙が出そうになるのを堪え、重い足を引きずりながらやっとのことで跨線橋を超えた。

 そして午後8時20分天童セントラルホテル到着、距離にして55km、時間にして11時間40分、昼休みの1時間30分を差し引くと、10時間10分も歩いたことになる。10kmあたり2時間費やしたことになるが、肉体的にはなんら問題はなく至って元気である。
色摩さんに到着の連絡をしてチェックイン、とりあえず汗を流し着替えると玄関で待ってくれている色摩さんと合流、何と奥さんと義理のお母さんも来てくれた。色摩さんの車で少し離れた居酒屋に午後9時ごろ入る。イザベラ・バードの話などで盛り上がり、店を出たのは10時半を回っていた。
ゆっくり風呂に入り、疲れを癒す。励ましてくれた友人達に連絡して、ベッドに入ったのは午前零時を回っていた。

2015年10月12日

2015/03/10 山形大学フィールドプロジェクト「食とスポーツ」報告会

image_kyokucho2s.gif3月10日(火)、11日(水)と西川町さんから招かれ山形に行って来ました。

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町の政策推進課が主催する『山形大学フィールドプロジェクト/食とスポーツ』報告会です。

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西川町と山形大学がコラボして、西川町のスポーツが可能なフィールドの調査を男子学生が、また食環境の調査は女子学生が調査研究した報告会で、30分の予定が50分ほどかかりましたが、なかなか面白い調査・研究報告でした。

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5分間のトイレ休憩のあと、不肖私が「西川町のスポーツと(食)観光」というテーマで40分間、講演と言えるかかなり怪しいものでしたがこれまでの体験をベースに話をさせて頂きました。

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2007年町が募集したコンペ『田舎に知恵を集めろ!西川町ビジネスプラン』に応募”優秀賞”を頂いたことをベースに、大林・神原教授に手伝って貰い地域活性学会第一回研究発表した時のことを交えて、時には面白く、時には役所にとっては痛い話を織り交ぜながら40分にまとめることが出来ました。いつも脱線する私ですがぴったり予定時間内に終われたことは奇跡でした。

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2015年09月30日

JLAU(一般社団法人 ランドスケープアーキテクト連盟)のHPに掲載

 元気・まちネット代表の矢口は、ランドスケープアーキテクトとして「都市公園やリゾートの計画・設計及び住民参加のまちづくり」が本職で、これらの経験を活かした「まちおこし・まちづくり」をしたいと考え、会員の皆さんのご協力を得て10年ほど前からNPOを立ち上げ活動しています。

 JLAU(一般社団法人 ランドスケープアーキテクト連盟)は、RLA(登録ランドスケープアーキテクト)の保有者の団体です。
JLAUでは、その活動の一環として、ランドスケープにまつわる分野の方々や、関連しそうな周辺分野の方々にヒアリングを行い、アーカイブ化(ホームページに載せるなど)を行ない、ランドスケープアーキテクトの職能を多方向から捉え直そうという試みがあり、記念すべき第1回目に、元気・まちネット代表の矢口からNPOの活動についてヒアリングしたいとのオファーがあり、その記録がJLAUのHPにアップされました。

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タグ:矢口正武
2015年06月04日

山形新聞2015/05/30

山形新聞の論説・解説「土曜コラム マルチアングル」に、元気・まちネット代表・矢口の「イザベラバードの山形路」踏破が紹介されました。
2015年05月22日

20150613-14イザベラ・バードの山形路 in もがみ・勉強会

6月13日(土)〜14日(日)「イザベラ・バードの山形路 in もがみ・勉強会」を開催します。

イザベラ・バードの山形路も残すところ、最上地方だけとなりました。
彼女は立派な道路を進み、土生田(とちうだ)と尾花沢から鳥海山の素晴らしい姿を眺め、最上川の支流の木橋を超え、猿羽根峠を登ります。この峠からの景色はとても雄大で、松や杉、楢の並木道を通って新庄を抜け、風変わりな盆地に入りました。ピラミッド形の丘陵が半円を描いていて、その山の麓にはロマンチックな雰囲気の金山の町がありました。
新緑に染まる猿羽根峠(さばねとうげ)や上台峠(うわだいとうげ)は、どちらも2km位で、どなたでも楽しく歩けます。ご一緒しませんか?

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日 時 2015年6月13日(土)〜14日(日)

費 用 ¥1,000−(勉強会の資料代のみ、但し現地までの交通費、宿泊、飲食費、資料館・温泉などの入場(浴)券は個人負担となります)

〆 切 5月30日(土)

定 員 15名(但し、定員になり次第締め切ります)

申 込 @住所、A氏名、B年齢、C性別、D連絡先(携帯電話番号など)を明記して、NPO法人元気・まちネット(担当:矢口)までお申し込みください。
     メール:genki-kuma@mc.point.ne.jp
     FAX:03−3711−1403

その他
★宿泊希望の方は予約がありますのでお早目にご連絡下さい。(一泊二食¥8,000-/税別)
★部屋は原則男女別の相部屋となりますが、同室希望の方はお早目にご連絡下さい。
★ちょうどこのころから“さくらんぼ狩り”が始まります。 

スケジュール予定 
【6/13(土)初日】10:00 奥羽線「芦沢駅」改札口集合予定 
芦沢駅から約2kmの猿羽峠道を徒歩で上ります。昼食後、国宝“縄文の女神”を見学、そして雄大な景色を眺めながら若あゆ温泉で汗を流し、駅に戻り初日は解散。宿泊希望の参加者はそのまま宿へ・・・湯舟沢温泉(電話:0237-58-2439)

【6/14(日)2日目】10:00 新庄駅集合 
上台峠までバスで移動、上台峠約2kmを辿ります。役場のバスで町まで移動して昼食(朗読会有)。食後ロマンチックな金山町を案内して貰います。その後バスで新庄駅に移動して解散。
2015年02月26日

山形新聞2015/02/18

HPづくりや東京からの情報発信でお手伝いしている、映画「いしゃ先生」の冬ロケの取材に行って来ました。元気・まちネットの山形会員の高橋茂さんが、その時の様子を山形新聞「私の主張」に投稿、2月18日の山形新聞に掲載されました。

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2015年01月11日

山形新聞2014/11/04

訪日観光客の誘致を目指して様々な施策が打ち出されていますが、山形らしい誘致活動とは、果たしてどのようなものなのでしょう。

山形新聞2014/10/09

山形県西川町が生んだ「女医・志田周子(ちかこ)」。へき地医療に生涯を捧げたいしゃ先生の一生を、あべ美佳さんの脚本で映画化される運びとなりました。

元気・まちネットは、縁あって「志田周子を銀幕に蘇らせる会」のHPを作成、全国に情報を発信するお手伝いのミッションを頂きました。

『人生で初めて映画のオーディションを見学させて頂いた。』という代表:矢口の想いが、山形新聞に掲載されました。
2015年01月07日

報告:2014/12/06 元気・まちネット自主公開講座-日本奥地紀行-イザベラ・バードの山形路(200km)

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12/6(土)自主公開講座が専修大学大学院で実施された。

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イザベラ・バード(以下バード)が没して今年で110年、自主公開講座は「日本奥地紀行―イザベラ・バードの山形路200km―」と題して、2007年の踏査・検証から始まり、この7年間、東京(1回)と山形(4回)でシンポジウムの開催、旅企画6回を実施してバードの追体験を通して山形の魅力(風景、歴史・文化、食など)を伝えて来た。そして、当初からの念願であった200kmを広域連携した形でのルートマップを2013年度に完成することが出来た。

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明治初期の日本(人)の自然・風土、宗教感、考え方や暮らしぶりが、イギリス人のバードにはどう映ったのか、この7年間の締めくくりとして、もう一度「バードの山形路」を見つめなおし、来年以降更なる「歩く旅」の魅力を伝えたく、自主公開講座を開催した。

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【第一部:基調講演】
2009年、山形路200kmを1泊2日の強行日程の旅企画に参加して頂き、今日まで陰ながらアドバイスを送り続けて頂いた福田徳郎さんをお招きした。

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福田さんとは2008年11月、毎日旅行社が企画した「イザベラ・バード日本上陸130周年記念、第一回/横濱海岸通りと外人居留地跡を歩く」に佐野理事と参加した際に知り合った。バードが奥地紀行に出発するまで横浜や東京で誰に会ってどのように日々を過ごしたのかを3回シリーズで案内してくれるというもので、古道紀行エッセイストの金沢正脩氏が案内役を務めてくれた。

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基調講演の内容は後日、テープ興しをして詳しく述べるが、バードが来日した目的(エージェント=諜報員)やその背景を、その時代考証から面白く解説してくれた。また、山形路(特に小国13峠)のブナ林や当時の石畳を掘り起している地元のNPO法人へ旅人自らが感謝しながらも、エリアトラスト運動の必要性を説いて頂いた。

【第二部:朗読会】
山形路200kmの踏査・検証や旅企画を通して山形の自然風景、建造物、食、宿、出会った人々の交流をパワーポイントで紹介、「日本奥地紀行」の中でもハイライト部分にあたる小国13峠、赤湯から上山・山形、猿羽根峠、金山町(上台峠)の舞台を佐野理事の爽やかな語り口で紹介した。

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佐野理事は元気・まちネットの2006年の創設時からのメンバーで、プロフィールにも示す通り、山形路1,000km(源義経「北国落ち」150km、松尾芭蕉「おくの細道」200km、イザベラ・バード「山形路」200km、清河八郎「回天の道」150km、清河八郎「西遊草の道」250km)を踏査・検証、山形県人よりも山形の歴史を「歩く旅」を通して精通していること、またNHK朗読講座上級卒業という輝かしい実績を持ち合わせ、本日の自主公開講座に朗読を通して華を添えて頂いた。

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【第三部:フリートーク】
自主公開講座を聴講して頂いた参加者からは、「何故、バードが来日したのか、その目的とは?」、「何故、イギリス人はアイヌの墓を荒らしたのか?」、「13峠を歩きながら、エージェントのことなど忘れて楽しむことが出来た」、「人生とは邂逅である」などなど、新しい発見や面白いお話を聞くことが出来た。後日テープ興しをしてHPから発信したいと考えています。

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★毎回、会場のみならずスクリーン、プロジェクターなどを無料提供して頂いている専修大学(大林守商学部教授)には、改めてお礼申し上げます。


【参加者からの感想】

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今日はお疲れ様でした。
矢口さんのご紹介で来ました。公開講座の感想ですが、皆さんのお話で、山形ってこんなに自然豊かなところだなあと感じました。心地よく朗読を聴いていたら日本にいる間に一度行ってみたいです。
【曹くん・千葉大留学生】

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lli06.gif5年前、福田先生にご案内して頂いた「横浜に上陸したバードを追って」に参加し初めてイザベラバードの「日本奥地紀行」のことを知りました。
当時の日本の実情を考えると彼女の意思と実行力に驚くと同時に興味を持ちました。
今回の公開講座「バードの山形路」を受講して、彼女の本当の目的は、コースの設定にはどんな意味があったのだろうか、欧州人の見た当時の風習・庶民の暮らし等々益々興味が湧いて来ます。
4年前、萱野峠、黒沢峠を歩き、置賜平野の集居村を遠望してアジアのアルカディアと感嘆した場所を訪ねた時を思い出し懐かしく、豊かな自然と、歴史に触れながら、また是非訪れてみたいと強く感じました。
【古往今来の会・村上昌造 様】

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lli06.gif先日はとても楽しい時間でした。
今回も勉強不足で発言を求められた際はしどろもどろ…。
バードについて同じ資料から感じること、想像することが皆それぞれでどの推察も正解であり得るというのが興味深く、一層魅力的な人物に思えてきました。
懇親会で福田先生に「幅広い知識はどのように身に付けたのですか?」と尋ねた所、「このようなお酒の場で知り合う多くの人との会話から…」とお答え頂きました。
それなら私にも出来るかな〜と(笑)、これからも周囲の人々から多くのものを吸収していきたいです。
【神奈川県、鈴木綾子さま】

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lli06.gif昨年4月に山形県南陽市を訪問するまで、名前さえ知らなかったイザベラ・バードですが、知れば知るほど奥が深く、ますますハマりそうな予感がします。IB倶楽部の皆さんの、熱気と探求心があふれるくらい伝わる公開講座でした。
次回は歩いてみたいです。
【川口市・大竹敦子さま】

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lli06.gifツインタイムトラベルとは「過去の旅行記に描かれた旅の時空と自らの時空を主体的に重ね合わせる」新しい旅の形をいうらしい。一昨年、山形のある町のマーケティングアドバイザーを一緒に担った友人が大胆にもそれを実行した。新潟県関川村から山形県小松村までの越後米沢街道にある13の峠をまとめて歩くツアーを出掛けたようだ。彼に誘われて今回の公開講座に参加し、その13の峠の行程の詳細を学べ、朗読と共にバードになった心地!になり、ハイジアパーク南陽に飾られていた彼女の写真が脳裏に蘇った。アドベンチャラスな意志の強い女性、そしてイギリス政府のエージェントでもあったというミステリアスなところも大変興味深い。金山町のハーブを効かせて焼いた鶏肉が戴ける「イザベラバード御膳」も是非食してみたいなぁ。
【市川市・中村昌子さま】

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lli06.gifバードには翼がないが冒険心と探究心がある。著したものは主観でありながら異国人からみた客観でもある。利益や名声を意識していないので、それは自然体の表現ともいえる。日本の風俗・文化・自然に対するバードの賞賛に小躍りしたり、誤解を含む観察・論評に反論する必要はなかろう。ただ130年以上経ても色褪せることのないひとりの女性、ひとりの人間の生き様に何かを感じれば良いと思う。
今年は越後米沢街道を歩き、今回の公開講座でバードの新たな一面を知ると共に朗読で当時の雰囲気に浸ることも出来た。2015年も時空を越えたバードとの交わりがあることを願っている。
【市川市・中村隆俊 様】




「はまり込む謎の人イザベラ・バード」

調べればどんどんと深みへはまり込む〜〜イザベラの生涯は旅に明け暮れたというが、快適を選ばず、むしろ苛酷な旅を運命のように思って実践したのは、父母が属し、神父を務めた英国国教教会への報告と王立スコットランド地理学協会への推挙という高い峰を目指していたのだろうか。
ヴィクトリア朝の婦人探検家(レディストラベラー)はバードを含め14名。
ヒマラヤ登山を始め、世界各地の探検や調査旅行の目的は地理学会会員に推挙されるのもさることながら「婦人参政権」の獲得が大きな目標だった。
 バードの「日本の未踏の地」(日本奥地紀行)が刊行後、偶然なのか英国の婦人は参政権を獲得し投票権を得たのだった。
 こまごまと調べて行くと、日本奥地旅行も到着の1年前から東京で活躍のパークス公使夫妻によるバードの内地旅行の特別査証や、北海道の開拓使
黒田清輝の指示によるアイヌ調査のサービスぶりも腑に落ちる。
バードの旅のハイライトはなんといっても日光から新潟、そして新潟で北海道への船便が無く、やむを得ず、地図上白紙だった山形県縦断200キロ
の徒歩旅の日々が読む者をわくわくさせる記述に満ちている。
 旅するバードを眺めていた日本側の記録が山形の旧家の土蔵からでも出てこないかというのが私の大きな期待の一つだ。
バードの行く先々には、連日黒山の人だかりが出来、噂は10里を走ったに違いない。
されば地元の庄屋さんや、寺子屋の師匠や、坊さんが日記にバードの挙措を誌しているのを大いに期待しているのだ。
福田 徳郎
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2014年12月09日

山形新聞2014/11/12

最上川を中心に美しい桜並木づくりを目指す山形新聞・山形放送の8大事業「最上川さくら回廊」。山形新聞2014/11/12「植栽者の願い」の中に、元気・まちネット代表理事:矢口のコメントも掲載されました。

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