2016年10月30日

植栽事業の報告【10月23日(日):ヤマユリの植栽】

「やまがた社会貢献基金」の支援を受け、最上川(峡)沿いを「景観と歴史・文化」を通じ、戸沢村と庄内町を地域連携して活性化しようと、昨年8月「最上川・陸羽西線活性化委員会」(会長高橋茂)は、活性化策として、今年5月、「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権・春」を開催したのに続き、23日(日)午後1:半から、清川の御殿林内にヤマユリ(三輪咲き)50個を植栽した。
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午前中「清川歴史公園基本設計(その1)」の打ち合わせを終えて、午後1時半、公民館前に活性化委員会スタッフで会長の高橋茂氏、同じく幹事の斉藤満氏、石塚俊氏、安彦康信氏、門脇茂光氏、そして私(矢口)の6名が集合、夕べの雨も上がり、上空には青空が見えて絶好の植栽日和になった。斉藤さんがこの日のために、植え込み地の目印となるように、1.2mほどの長さに揃えた笹を70本ほど用意しておいてくれた。
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そのお陰で、最初に植える場所に笹を刺し、あとから笹の根元に深さ10~15cm、直径15cmほどの穴を掘り、ヤマユリの球根を植え付けていった。要領が良かったせいもあって作業は1時間ほどで終了、来年夏には三輪咲きのヤマユリが訪れた人の目を楽しませてくれることだろう。
11月2日(水)と3日(木・祝)には、戸沢村の角川と最上川が合流する左岸の展望広場にオオヤマザクラ、モミジ、ヤマユリの植栽を予定している。

2016年09月10日

最上川・陸羽西線活性化委員会「やまがた社会貢献基金」支援採択決定!!

8月31日(水)台風一過、ふる里山形は前日の台風10号豪雨が嘘のように晴れ渡った。
早朝8時30分から「最上川・陸羽西線活性化委員会」の第三回全体会議が庄内町清川公民館をお借りして、12名の出席者で9月から12月までの活動について話し合われた。
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山形県から50万円が支援されることとなり、最上川・陸羽西線沿線をどのように活性化していくか、内容についてはほぼ決まっているのだが、その時期についてスタッフの都合と、ヤマザクラ、モミジ、ナノハナ、ヒガンバナの植栽時期について、(有)荒木園芸さんの荒木氏にも急きょ出席をお願いして決めることが出来た。
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10時30分、会議が終了すると高橋会長と私は、「やまがた社会貢献基金」支援事業の説明会に出席するため、高橋会長の車で村山総合支庁(県の出先機関)に向かう。
台風10号は宮城、岩手から青森に抜けたため、山形県への大きな被害は少なかった。
途中、昼食を摂り、説明会場の村山総合支庁に到着したのは13時ちょうど、総合支庁601号室に入り、13時30分からの説明を1時間ほど受ける。
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私たちの活動について審査にあたった委員からは『最上川観光を改めてアピールするチャンスである。関係機関と目的・目標を共有し合い、話を進めるプロセスを大切にして欲しい。また、季節ごとの行事に合わせてイベントを開催するなど、具体性を持ちながら取り組んで頂くと良いのではないか。』と、アドバイスを頂いた。
県民文化のK担当者に挨拶して会場を後にする。
「9月から忙しくなるぞ」との思いを一層強くした説明会だった。
2016年06月05日

「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権・春」を開催しました。

2016年5月14日(土)、予報に反して朝はどんよりと厚い雲に覆われていた。しかし、受付を始めた午前8時半過ぎには、雲の合間から青空が見え始めスタッフはホッと一息・・・

集合場所の船番所古口港(戸沢藩船番所)には、車や電車を利用した参加者約30名が集まり、「最上川・陸羽西線活性化委員会」高橋会長の挨拶の後、吉宮幹事から本日の予定を簡単に説明して貰い、9時半バスに乗車、最初の目的地、俳聖松尾芭蕉と曾良の像が設置された本合海乗船の地に向かった。バス内で高橋会長から戸沢村の歴史や観光などについて詳しく説明して頂いた。

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乗船の地を見学、記念写真を撮って、再びバスで義経も旅の安全を願って舟から手を合わせたという矢向神社(矢向楯)を見学する。山形県を南から北に向かって流れる最上川は、このあたりから進路を一気に西に変え、酒田港を目指すのである。

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一行は船番所まで戻り、弁当を買い、トイレ休憩したあと、午前10時50分発の最上川芭蕉ラインに乗り込んだ。

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天候も回復し、青空のもと新緑が眩しい最上峡や白糸の滝の景観を堪能、思い思いに俳句を詠みながら約1時間の舟下りを楽しんだ。

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草薙港(川の駅・最上峡くさなぎ)で下船したあと、庄内町清川の旧清川小学校跡地にある芭蕉・曾良下船の地を訪れ、現地でまち歩きガイドをされている斉藤さんに20分ほどこの地の歴史についてご説明して頂く。

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再びバスに乗り、庄内町肝煎へ。地元出身の吉宮幹事より、羽黒山を開いたと言われる鉢子皇子(はちこのおうじ)についての説明を聞きながら13時に羽黒古道の入口に到着、活性化委員会の内藤さんにガイドをお願いして約1時間40分、羽黒古道のハイキングを楽しんだ。

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羽黒山の杉の巨木に見とれながら俳句を詠み、出羽三山合祭殿に手を合わせたあと、14時50分、羽黒山を出発して休憩地に予定している月の沢温泉「北月山荘」に到着。

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大広間に落ち着き、詠んだ俳句2首を提出、北月山荘の皆さんが心を込めてこしらえてくれた旬の草餅を頬ばりながら参加者全員が選者となり、上位5名の俳句を選んだ。

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第一位の“芭蕉賞”は同数となり、決戦投票の結果、庄内町余目在住の鎌田準一さんが詠んだ
清流に 映すわが身も 芭蕉かな
に決まった。

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初めての開催で色々と課題もあったが、大きなトラブルもなく無事終えられたこと、また多くの協賛品を頂いた両町村の観光協会さんに感謝したい。

2016年05月28日

山形新聞2016/05/15

5/14(土)に開催した「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権」が山形新聞に掲載されました。
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2016年03月12日

山形新聞2016/02/05

昨年5月、元気・まちネットや山形県庄内町、戸沢村の有志が集まり、庄内町と戸沢村が地域連携し「景観や歴史・文化」を通じて地域に活力をもたらし、元気で楽しいふるさとを創造することを目的とした「最上川・陸羽西線活性化委員会」が発足しました。
活性化委員会では、今年5月、「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権・春」を開催します。新緑の最上峡や白糸の滝を眺め、舟下りやハイキングを楽しみながら俳句を詠む楽しいイベントです。
ご参加をお待ちしております。
2016年02月23日

2016/05/14(土)「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権・春」を開催します。

元気・まちネットや山形県庄内町、戸沢村の有志が集まり、庄内町と戸沢村が地域連携し「景観や歴史・文化」を通じて地域に活力をもたらし、元気で楽しいふるさとを創造することを目的とした最上川・陸羽西線活性化委員会が昨年5月発足、これまでフィールドワークや会合を通じて観光資源を探ってきました。

2016年5月14日(土)、新緑の最上峡や白糸の滝を眺め、舟下りやハイキングを楽しみながら俳句を詠む旅を企画しました。
お気軽にご参加下さい。

【旅行期日】
  • 開催期日:2016年5月14日(土)
【旅行条件】
  • 募集人員:40名(最小随行人員15名)
  • 参加費用:¥3,500-(舟下り、バス、入浴、保険、茶菓子代含む。その他飲食代は自己負担となります。)
  • 募集期間:2016年2月10日〜4月30日(但し定員になり次第、締め切りとします)
  • 俳句投稿:2首/一人、芭蕉杯、曾良杯など表彰多数有り (選者は参加者全員とします)
  • お申込先:NPO法人元気・まちネット(担当:矢口) 
    fax:03-3711-1403
    mail:genki-kuma@mc.point.ne.jp
    (郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先などご記入の上、お申込み下さい。)
【スケジュール】

古口港(戸沢藩船番所)(9:00集合) 
9:20出発バス〜9:40本合海(芭蕉・曾良、乗船の地)
10:00〜10:10八向盾
10:20〜10:50(舟下り)
11:50〜12:00庄内藩清川川口番所跡・正岡子規碑
12:20〜12:50羽黒古道から羽黒山
14:00〜14:30北月山荘(俳句発表・懇親会)
16:30〜古口港(戸沢藩船番所)解散17:00(予定)

★北月山荘宿泊希望の方は4月30日までお申込み下さい。
  北月山荘:Tel & fax 0234-59-2137(1泊2食 ¥7,500-)
mail:kitagassanso@town.shobai.yamagata.jp

★お昼は各自、舟下り中もしくはバス移動中に摂って頂ければ良いかと思います。

★新庄駅8:12→8:30古口駅、酒田・鶴岡駅7:40→8:28古口駅 (船番所まで徒歩10分)

【事業企画ほか】

事業主催:最上川・陸羽西線活性化委員会
旅行企画:最上川交通
事業協賛:最上峡芭蕉ライン観光梶A庄内町観光協会、戸沢村観光物産協会ほか
企画協力:NPO法人元気・まちネット

2016年02月16日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その4

【5月7日(木)晴れ、新庄〜及位/約35km】

6時起床、文兄がウオーキングの帰りに買って来てくれたおにぎり2個と水を貰い、7時万場町の兄宅をスタートする。旧道を小一時間歩くと羽州街道(国道112号)に合流、一路金山町へ。途中羽州街道の杉並木が一本だけ残っているのをカメラに収め、上台峠入口に到着したのは9時半、ここから旧道に入り、新緑に染まる雑木林の砂利道をゆっくりと歩く。足裏に痛みが走るのでゆっくりとした足取りでないと歩けないというのが本音なのだ。

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途中樹木が途切れたところにヤマザクラが植えられていることに気付く。2012年(金山でのシンポジウム)には植えられていなかったハズだが、誰が、何のために、いつ頃植えてくれたのだろうか。熊野神社までの間に3ヶ所ほどに約20本植えられていた。熊野神社を少し下った右側の住宅の庭で作業をしていた方にサクラのことを尋ねると、ここ最近、上台峠を歩く人が増えたので、昨年と一昨年に分けて20本ほど地元で苗木を購入して植えてくれたのだと言う。嬉しい限りである。」

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お礼を述べて再び羽州街道に戻り、金山町役場に到着したのはちょうど11時だった。産業課商工景観交流係の丹氏を表敬訪問、ちょうど前課長の須賀さんも来ていたので色々な話が出来た。「上台地区の皆さんがサクラを植えていてくれたこと」、「商工景観交流係に異動した職員は必ず、バードのシンポジウムを担当したらどうだろう」とか「“バードの町“と宣言して良いんじゃないですか」などを提案、6月14日(日)の旅では、「参加者の送迎でマイクロバスを出して貰えないか」と相談、快諾して頂くことが出来た。30分ほどお邪魔して「一福や」に移動する。

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足の痛みでは、及位までの15kmを歩いて午後3時半までたどり着くことは不可能と判断、まちネット山形会員の高橋さんに救急搬送を依頼する。快諾して貰えたので、矢口夫妻と歓談しながらゆっくりバードランチ(焼きおにぎり+お漬物)を食することが出来た。¥500-(珈琲はサービス)途中の栄養補給のためにと、焼きおにぎり2個を貰い、午後12時半スタートする。

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森合峠に入ったのが午後1時、30分ほどで森合峠を越えて国道に出る。途中に田山花袋の碑があった。
余談だが田山花袋著の田舎教師は埼玉県羽生市を舞台にした小説で、日本一周の旅に出た花袋は、秋田からの帰りにこの森合峠を通った。そのときに月山を眺めながら詠んだ短歌が石碑に刻んである。”夕日影 沈まんとする大空に 月の山こそあらわれけり“

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森合峠から国道脇の日当の松並木を抜け、午後2時半ごろ、金山町和田の大きく左カーブの下りを歩いていると、産廃業車の運転手さんから「どこまで行くの?」「及位まで」「まだ結構あるよ、乗って行くか?」「いや、有難う、乗るとズルしたことになるから」と答えると、にっこり笑って「じゃ、気を付けて」と言って走り去った。パンチパーマにチョビ髭をはやした気のいいお兄さんの優しさに思わずうるっときてしまった。
和田地区内を歩いていると前方に見覚えのある黄色いジープが?あれっ色摩さんがしゃがんでカメラを構えている。うっそー・・・手を上げ近づいて来る。「どうしたんですか?」「いやいや、もう及位に着いたかなと焦って来たんだけど会えて良かった」心配でわざわざ駆けつけてくれたのだ。

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嬉しいねぇ〜ホント嬉しい。写真を撮ってくれてまた先に行って待ってくれているという。主寝坂峠に入るところで高橋茂さんが激励に来てくれた。これで勇気100倍、なんとか完歩できそうに気分になって来た。
主寝坂峠に入るとグーッと気温が下がり、寒さが身に浸みる。800mあるトンネルを抜けるともうすぐ及位駅も近い。すると前方に色摩さん、高橋さんが手を挙げて待っていてくれた。ゴールかと思いきやまだ少し先だと言う。勇気を奮って歩き出す。そしてついに午後5時きっかりに及位駅に到着することが出来た。ああ〜150kmはホント長かった〜・・・

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色摩さんとはここで別れる。本当に有難う御座いました。高橋さんの車に同乗して実家まで送って貰った。彼に迎えに来て貰うことが出来なかったらどうしただろうと思うとゾッとする。
こうして、「イザベラ・バードの山形路(150km)」を歩き通すとことが出来た。残り50km(小国13峠)のことが気になって来た。

2015年11月10日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その3

【5月6日(水)晴れ、大石田〜新庄/約25km】

 6:30起床、よく眠れた。準備をして朝食を頂く。宿の女将さん(おばあちゃん)が世間話をしながらごはんをよそってくれた。話をしているうち、梅津先生と芭蕉の勉強会や旅でご一緒する間柄とかで、ビックリした。有路さんは芭蕉風の出で立ちで迎えに来てくれたので部屋で少しだけ待って貰うことにして、早々と食事を済ませて午前8時、宿を出発した。

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 有路さんの案内で芦沢駅まで旧道を歩く。9時45分芦沢駅着、距離にして約8km、10時駅から毒沢の交差点まで約3.3km歩き11時、毒沢の交差点着、ここから猿羽根地蔵山まで旧道を歩く。新緑の中を歩くのは実に気持ちがいい。

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キブシ、タムシバ、マメザクラ、ヤマフジなどが咲き乱れ、足元にはコゴミの成長したクサソテツが新緑の峠道を華やかに彩っているので飽きがこないし、2.5kmの峠道もあっという間に上ってしまった。樹間越しからは残雪を抱いた月山がはっきり眺めることも出来た。

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ちょうど1時間で山頂の地蔵尊に上がることが出来た。有路さんの友人夫妻が待っていてくれた。少し下って友人が経営する「ぎゃらりぃ悠里」で昼食を摂り、4人で2時間ほど歓談する。バードの旅を初めて8年目で、ここから初めて鳥海山を眺めることが出来た。有路さんとはここまでで、3人に別れを告げ、ぎゃらりぃ悠里の阿久津夫妻にも見送られ、痛みを増した足を引きずりながら旧羽州街道をただひたすら、新庄にある「ブナの一里塚」を目指して歩く。

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やっとのことで新緑のブナに会えた。猿羽根峠からここまでは旧道にまつわる新たな資料は見つかっていない。巨木のブナを数枚写真に収め新庄駅を目指す。午後5時やっとの思いで最後の10kmを歩くことが出来た。

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 兄の住む万場町に歩く力は残っていない。タクシーを拾って兄宅に向かう。風呂を沸かして待っていてくれた。ゆっくりと風呂に浸かり旅の疲れを癒す。風呂から上がり大きく育った水ぶくれと肉刺(マメ)の手当てをして、午後6時、羽賀先輩の待つ「焼き鳥屋さかい」に向かう。羽賀先輩の知り合いで新庄祭り「新庄山車連盟筆頭副会長」の川崎夫妻を紹介され、一緒に飲む。今日もご馳走になり午後9時帰宅して就寝。ああ〜しんどかった。

2015年11月09日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その2

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【5月5日(火)晴れ、天童〜大石田/約35km】

 6時起床、ホテル隣のコンビニでおにぎり2個と飲み物、バンドエイドを購入、部屋で右足小指と左足裏の肉刺(マメ)にバンドエイドを貼り、午前7時天童をスタートする。

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 今日は大石田駅前までの約35kmを予定。ここからの羽州街道は直線で高低差がなく平坦な道が続く。約1時間半あまり歩くと左手前方には真白い雪に覆われた雄大な月山と手前には雪が解け始めた葉山が見えてきた。バードも同じ景色を眺めながら歩いたことだろう。

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 9時30分、さくらんぼ東根駅前を通過、バードも見かけたであろう松並木を見上げながら、歩を進めると麩で有名な六田(ろくだ)に入る。甘いものが欲しくなり、何度かお邪魔したことのある「文四郎の麩」に入るとお嬢さんと思われる女性が「あら、またバードの旅ですか?お茶をどうぞ。」と薦めてくれた。小休止、そして麩ドーナツを買って食べながら歩を進め、11時村山駅を通過、駅前に出来た甑(しよう)葉(よう)プラザ内の芝生広場で小休止、お腹が空いて来た。この近くで昼飯を摂らないとハンガーノックになってしまいそうだ。

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 大きな岩を抱くように伸びるケヤキが特徴の愛宕神社を通過、1881年(明治14年)明治天皇の東北巡幸を見据え、当時の県令だった三島通庸が1978年に岩山の開削工事を行い、このとき切り離され残ったのがこの岩山だったということは、バードも開削され直線となったこの道路を通ったに違いない。なかなか食べるところが見つからない。愛宕神社の坂を下りたところに食堂の看板が見えたが、GW期間中のため休業の看板が・・・頭の中は食べることで一杯だった。

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 前方に「尾上の松」が見えてきた。たしか昔ドライブインだったところなので「何かあるかも知れない」と歩く速度も自然と速くなる。食堂の看板が見えた。ああ〜やっと昼飯にありつける。時間はすでに12時50分、天丼定食を注文、貪り食う!午後1時30分食堂を出発、村山を過ぎたということは間もなく袖崎(そでさき)に入る。袖崎小学校を過ぎ、取上坂を下った田んぼの畔に地元の歴史研究会の皆さんが建ててくれた「清河八郎、イザベラ・バード鳥海山眺望の地」と書かれた標柱に出会う。午後2時20分、湯舟沢温泉の大泉さんに6月お世話になる旨の電話をする。

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 足の小指の肉刺も、左足裏の水ぶくれも痛みを増し、歩くことさえ困難になって来た。写真を撮ろうと足を止め、カメラに収め歩き出そうとするときが一番痛む。だましだまし、恐る恐る一歩また一歩と踏み出しながら歩き始める。やっと大石田へのサインが見えてきた。尾花沢市街は何度も通っているので、今日は最上川沿いに沿って歩こうとバイパスを左折してちょっとした峠を越えて進む。

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 すると左手前方に雄大な流れを見せながら最上川滔々(とうとう)と流れていた。石垣に腰を下ろし休み休み大石田を目指す。そしてやっと長い坂を終え左に曲がると大石田の駅が見えて来た。午後3時15分、駅前にある最上屋旅館に到着。8時間15分、距離にして35km、今日も良く歩いた。チェックインしてまず足を確かめる。うわ〜凄い。左足裏の血豆に貼ったバンドエイドをはみ出し、大きな水ぶくれとなって広がっている。これじゃ痛い訳だ。女将さんに縫い針と塗り薬を借りて、マメの水を抜き、消毒してバンドエイドを二重にして貼る。立ち上がって最初の一歩がそれこそ重病人のような格好になっている。温めの湯にゆっくり長く浸かって今日の疲れを癒す。

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 部屋に戻ると急に眠気が襲って来た。今晩呑むことになっている大石田体育協会会長の飛渡さんに連絡をとり、しばし休憩。6時20分ごろ渡海さんが宿まで迎えに来てくれる。渡海さんの車で居酒屋に向かう。少し遅れて有路さん、森さんが到着、とりあえず4人で乾杯する。有路さん、森さんのお二人は、昨年6月蔵王で開催したスポーツイベントにボランティアをやって頂いたので顔見知りだったこともあり、スムーズに会話することが出来た。20分ほど遅れて飛渡さんも合流、大石田スキー協会のことや、今回の旅の話で盛り上がった。明日は有路さんが猿羽根山まで一緒したいと言ってくれた。

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 散々ご馳走になり渡海さんに宿まで送って貰い21:30宿に戻った。流石に今日は疲れて一気に深い眠りに落ちていった。
2015年11月06日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その1

元気・まちネットの代表:矢口が、イザベラ・バードの山形路を追体験。
今回は赤湯〜及位(のぞき)まで、自分の足のみで辿る"がち"歩く旅。
旅のレポート「北遊草」をお届けします。
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【5月4日(月)晴れ、赤湯〜天童/約55km】

 東京駅6時12分発「つばさ」に乗る。GWだというのに意外と空いているのはちょっと驚いた。同行予定だった高橋さんは家族サービス、佐野さんは仕事が多忙なため、今回は一人旅となった。
 考えてみればこれまであまり一人旅はしたことがなかったように思う。決して嫌いではないのだが、一人旅の寂しさみたいのがあったのだと思う。人間はいずれ死ぬときは一人なのだから、旅ぐらい一人で出来なくてはこの先どうなるのだ。なんて思いながら友人とメールのやりとりをしているうちにつばさは定刻通り赤湯駅に到着した。改札を出るやなんと喪服姿の沼沢君が・・・これから旅が始まるというのに縁起でもない。(笑)

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 沼沢君にこれと言った用事があったわけではないのだが、旅の始まりが赤湯駅では、彼に黙ってスタートすることは出来ないということで、予め沼沢君には連絡しておいたのだ。
「どこまで行くんですか?」「及位(のぞき)まで」「えっ、及位?どのぐらいあるんですか?」「150km」「そりゃ無理ですよ」「まあ、何とかなるでしょ、行けるとこまで行ってみるよ」・・・そんなやりとりをして午前8時50分、赤湯駅をスタートする。駅から東に3kmほど進むと赤湯の温泉街が現れる。

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 イザベラ・バードは赤湯温泉に泊まる予定にしていたのだが、「三味線をかき鳴らし、琴をきぃきぃ弾き、その音に我慢出来なかった」ので、そこから16マイル(約25km)離れた上ノ山温泉まで足を延ばしたのである。温泉街を抜け、白竜湖を右に見ながら取上坂(鳥上坂)を上り、レンガ造りの隧道をくぐり抜け、羽前中山駅を目指す。周りの畑地にはサトザクラは満開を迎えていた。

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 スタートして2時間あまり歩いて午前11時30分、中山駅を通過、すると突然ビバルディの四季が流れてくる。どこで何のために流しているのだろう?そんなことを考えながら歩いていると、上山温泉が近づいて来た。バードが祭りの前夜に立ち寄ったという石崎神社を左手に観ながら、石井さんと待ち合わせしていた上山温泉街カミン(百貨店)に12時ちょうどに到着した。

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 石井さんとのお付き合いは長く、イザベラ・バードの山形路を踏査した2007年、バードに関する資料をまとめて会社に送って下さった方で、踏査・検証の途中、お世話になる「はたや旅館」の前に立ち、笑顔で迎えてくれたときの人なつこそうな笑顔は今でも忘れられない。

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(写真は2007年初踏査の時のもの)

スポーツイベントの合間を縫って会いに来てくれた。嬉しい限りである。昼時だったこともあり、そば屋で昼食を食べながらバードの思い出に浸る。ゆっくりはできなかったが、それでも2時間近く話をすることが出来た。

 石井さんに見送られ午後1時50分、「さかえ蕎麦店」を出発する。斉藤茂吉記念館を過ぎ、旧羽州街道を山形に向かう。途中リナワールド(遊園地)付近で雨が落ちて来た。タブレットやカメラを持っていたので慌ててコンビニに入りビニール傘を購入したが、それ以降、降る様子はなく、傘を持って歩くことになる。体も足も快調だが、7kgあるバッグを背負っての歩きは結構しんどい。
 午後3時過ぎ山形市内に入ったが、予定より時間がかかっている。山形キャッスルホテル前で元山形新聞のカメラマンだった色摩さんと3時半ごろに会うことになっていたのが、この分だと少し遅れそうだ。途中自転車に乗ったおじさんが、背負っている旗を見て「なんで歩いてるの?」と聞かれたりして、色摩さんと会えたのは午後4時になっていた。冷たい飲み物を頂き少し元気を回復する。夕方の再会を約束して再び歩き出す。『・・・大通りの奥の正面に堂々と県庁があるので、日本の都会には珍しく重量感がある。どの都会も町はずれはとても貧弱だが、新しい県庁の高くて白い建物が低い灰色の家並みの上に聳えて見えるのは、大きな驚きを与えるー高梨健吉著・日本奥地紀行よりー』と、七日町通りから見た県庁(現文翔館)を書いている。歩き始めてすでに30kmが過ぎ、足の小指にわずかだが痛みを感じるようになって来た。

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 馬見ヶ崎川に掛かる千歳橋を渡ったときはすでに午後6時(18:10)を過ぎていた。
歩き始めて約40km、9時間を優に超えている。天童までは残り11km、何時ごろ到着するのだろう、ちょいとばかり不安になって来た。早朝ウオーキングでは10kmを90分〜100分で歩けているが、7kgのバッグを背負って歩くのは初めての経験で、どのぐらい掛かるのか全く予想がつかない。倍かかったとして200分ということは3時間20分、到着は午後9時半か・・・友人に「遅くなった場合に備え反射テープを持って行ったら?」と言われたことを思い出す。

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 ここからの旧街道(羽州街道)は道幅が狭く、歩道は側溝幅しかなく歩きに上に、街灯もないので後ろから来る車のライトを頼りに歩くしかない。それでも歩を止めるわけにはいかず、ひたすら歩き続ける。真っ暗闇の中、狭い歩道をずんずん進む。頭にあるのは、奥羽本線の跨線橋であそこまで行ければ天童の町の明かりが見えてくるはずで、とにかくひたすら歩く。
ときどき仲間から届く激励メールが唯一、萎える気持ちを奮い立たせてくれる。足裏の肉刺(マメ)もだんだん痛みが増してきた。そうこうして歩いていると歩道の高さが少しずつ増してきて跨線橋らしき雰囲気になってきて、電車が通る音も聞こえて来た。やっと天童のまちの灯りが見えてきた。涙が出そうになるのを堪え、重い足を引きずりながらやっとのことで跨線橋を超えた。

 そして午後8時20分天童セントラルホテル到着、距離にして55km、時間にして11時間40分、昼休みの1時間30分を差し引くと、10時間10分も歩いたことになる。10kmあたり2時間費やしたことになるが、肉体的にはなんら問題はなく至って元気である。
色摩さんに到着の連絡をしてチェックイン、とりあえず汗を流し着替えると玄関で待ってくれている色摩さんと合流、何と奥さんと義理のお母さんも来てくれた。色摩さんの車で少し離れた居酒屋に午後9時ごろ入る。イザベラ・バードの話などで盛り上がり、店を出たのは10時半を回っていた。
ゆっくり風呂に入り、疲れを癒す。励ましてくれた友人達に連絡して、ベッドに入ったのは午前零時を回っていた。