山形新聞2017/05/31
お蓮さんの梅の木・・・
山形新聞2014/11/12
山形新聞2014/11/02
回天の道「山伏峠」(鶴岡市添川「大森山」)に桜の木を植樹
山形新聞2013/11/30
山形新聞、庄内日報、読売新聞(山形)2013/10/18
今年4月、地元有志の方々で歴史を活かし湯田川を盛り上げようと「清河八郎を学び語る会」を結成、11/4(月・祝)にシンポジウムを開催します。主催は「清河八郎を学び語る会」(会長は元気・まちネット会員でもある高橋茂さん)と湯田川温泉観光協会、協力は元気・まちネットです。
当日は山形大学教授:山本陽史先生の基調講演「清河八郎幕末日本をゆく」をはじめ、清河八郎が母を連れて諸国漫遊の旅に出た「西遊草」の道を散策します。イベントの詳細、お申し込みはこちらへ。
10/18(金)には、山形新聞、庄内日報、読売新聞(山形)の3紙に一斉に掲載されました。
朝日新聞(山形)2013/09/01
清河八郎「回天の道」が掲載!「立谷沢川(たちやざわがわ)流域散策手帖」

「立谷沢川(たちやざわがわ)流域散策手帖」・・・
4年前の初版に情報量を増やしバージョンアップされた。
この立谷沢川に流れる出る水は霊峰月山を源として「平成の名水百選」にも選ばれた清流で、最上川に注いでいる。
清河八郎が江戸に出るため辿った街道を山形新聞の記者さんと見つけ、地元の皆さんと整備し「回天の道」と名付け、毎年「回天の道・文学散歩の旅」として約4kmの古道トレッキングを開催してきた。
こうして地元の小冊子に載ることでこれまでの”苦労”が報われた想いがする。
苦労と書いたがホントは楽しくて仕方なかったのだが・・・(笑)
「回天の道」とは・・・藤沢周平さんが清河八郎を書いた本のタイトルが「回天も門」から名付けました。
お問い合わせ&お取り寄せ先
≪商工観光課 立谷沢川流域振興係≫ TEL(0234)56-2213
「ふれるほどやさしくなる立谷沢川流域」のサイトで詳細が紹介されています。必要な方には郵送していただけるようですので、お電話でお問い合わせしてみてください。

山形新聞2013/01/19:江戸時代の関所再現 庄内・旧清川小跡地に歴史公園構想

舟下りを終えて車で15分ほど西に進むと最上川に沿って「清川地区」があります。(現在は庄内町清川、合併前は清川村、隣は私の生家のある戸沢村です。笑)
庄内町清川は、舟運で栄え、旧くは源義経(最上川乗船)や松尾芭蕉(最上川下船)、また幕末の志士清河八郎の生家、戊辰戦争の戦地として歴史・文化の香りが残る風光明媚な場所です。
清河八郎が好きで調べたり歩いたりしているうちに地元にも大勢の知り合いを得ることが出来、そんな背景もありこともあり、地元の方から歴史の里「清川歴史公園基本構想策定業務」を依頼されました。

NPOの名前や椛uの名前は載っていませんが、1/19(土)の山形新聞にカラーの鳥瞰図入りで大きく掲載されました。
ここまで大きく取り上げられたら庄内町も推進しなければならないでしょう・・・(笑)
やっとNPO法人としての形が出来つつ見えつつあります。会員の皆さんに感謝申し上げます。
山形新聞2012/12/03(社説):清河八郎「西遊草の道」歴史生かして地域振興
山形新聞2012/11/24〜28:清河八郎「西遊草の道」踏査後半同行記(全5回)

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山形新聞2012/11/25
清河八郎「西遊草の道」「元気・まちネット」踏査後半同行記 A
板谷峠ー大沢ー米沢 かやぶき、宿場の面影
清河八郎 回天の道・文学散歩の旅(第4ステージ: 二日目)
上山温泉の宿に下男の男が八郎を追っ手やってきた。
しかし八郎は清川に戻ることはなかった。
江戸で立派な学者になると下男を説き伏せ一人江戸に向かった。
我々もなじみの「はたや旅館」に落ち着き、初日の旅の疲れを癒した。
【2日目:9月30日(日)、上山から楢下宿〜金山峠】
09:45 JRかみのやま温泉駅集合、昨日庄内からの参加者が帰ってしまったが、山形市内から近藤さん夫妻が参加してくれて賑わいが増した。上山市観光課の石井課長さんのガイドでまずは湯街温泉街を歩きながら中村や旅館の跡地を見学、下大湯から温泉神社、武家屋敷を巡り地元のご婦人会が旅行客をもてなす紫苑庭でしばしの休憩、「おもてなし」の原点のようなご婦人方の笑顔に疲れも吹っ飛ぶ。
紫苑庭をあとにして上山城へ、今年で築城30年を迎えたとか・・・
天守閣から眺める蔵王連峰と市街地は圧巻だった。階段を下りながら上山の歴史を知る工夫が施されていてもっとゆっくり見たかったが時間の都合上、さら〜っと眺める程度に終わった。残念!
旅館を囲む木製の塀に上山の歴史を描いたのは面白く、真剣に読みたかったのだが、ここも時間の都合上、カメラに収めるのがやっとだった。
バスに乗り込み、昼食は楢下宿にある「こんにゃく番所」に、一度伺ったことはあるがこんにゃく懐石を楽しめると思うとゾクゾクワクワクする。
まあ、ご覧の通りホンモノかニセモノか、味をみても姿形を見てもそう簡単には見破れそうもない。ホンモノのこんにゃくだからニセモノということはあり得ないのだ。お土産まで頂き、さらに別室で珈琲まで頂いて満足してこんにゃく番所を後にした。
さらにバス移動して、八郎が見つかることを恐れ素通りした楢下宿を見学する。
地元のガイドの遠藤さんに楢下宿の歴史をレクチャーして貰い、大黒屋のいろりを囲みながら当時の生活習慣などについて丁寧に教えて頂いた。
楢下宿から移動して山形県と宮城県の県境にあたる金山峠の一部を歩き、清河八郎が江戸へ出奔したときに思いを馳せ、今回の文学散歩の旅を無事終えることが出来た。
2日間にわたり丁寧に案内して頂いた石井さん、櫻井さんに心より感謝致します。
またお土産まで頂いたこんにゃく番所の丹野社長さん、有難う御座いました。
→初日のレポートはこちら。
清河八郎 回天の道・文学散歩の旅(第4ステージ:初日)
清河八郎は向学心に燃えて江戸へ向かうため生家の清川を出奔したのは今から164年前、18歳のときだった。
(藤沢周平著「回天の門」を参照)
私たちは回天の道と名付け清川から上山楢下宿、金山峠まで約150kmを踏査・検証して「文学散歩の旅」を広域連携した企画を打ち立てた。春には山伏峠を歩き、六十里越街道は来年に持ち越したが、ステージ4を前倒しして実施した。

【9月29日(土)初日:山形から上山へ】
10:00元県庁だった文翔館を見学して歩き旅はスタートした。
台風の接近で雨が心配されたがどうしてどうして「晴れ男」は健在だった。
七日町通りは旧羽州街道で、現在では蔵を改造したレストランやお土産さんなどが並んでいる。
ちょっと前は今より4倍ほど蔵屋敷が並んでいたらしいが今では数えるくらいしか残っていない。

御殿堰、西村写真館、紅の蔵などを「山形歴史たてもの研究会」事務局長小林さ和彦さんに詳しく案内して頂きながらじっくり見学することが出来た。
西村写真館は小林さんのご親戚らしく大正10年創業で以来74年に渡りこの地で写真館を続け平成7年に廃業、内外装は当時のまま で今年公開されるに至った。
http://www.retorokan.org/contents/history20120917_b_1.htm

結構歩いた。6kmも歩いたらしい。
山形の最後は”出羽桜酒造”の工場見学、本店は天童にあるのだが、今回は羽州街道添いにある山形工場を見学させて頂く。
1893年創業ということは今から119年も前の創業ということになる。

もう仕込みに入っていることだろう。出羽桜が出来るまでを杜氏の井上さんから丁寧な説明を受けることが出来た。
残念なことは試飲が出来なかったこと。う〜ん・・・次回に期待しよう!
出羽桜さんの隣には山形のそばではその名を知られる”三津屋そば”さんで遅い昼食となった。
ここは本店で知人に連れられて2,3度来たことがあった。
いつもはキャッスルホテル前の店に行くのだが、ここの”かしわザル”が好みの味である。
【9月29日(土)初日:茂吉記念館】
そば昼食を終え、一行は車で上山市みゆき公園内にある「斎藤茂吉記念館」を見学する。
私の父は茂吉の弟子結城哀草果が好きで小さい頃ラジオから流れてくる結城哀草果の詩をいつも聞いていた。
茂吉については全くの門外漢で知っていることと言えば、正岡子規に影響を受けて作歌を志すようになったことぐらいか。

この歌碑は蔵王にあったので何とか知っている。
息子の北杜夫の著書はむかし良く読んだ。
記念館を出て一行は上山市街を抜け、八郎が泊まったと言われる「中村屋旅館」(今は銀行が建っている)の前を過ぎ、上山駅前に到着した。暑かったー!!
今日の宿はこの「回天の道」やイザベラ・バードの踏査・検証以来、お世話になっている「はたや旅館」さんにお世話になる。
清河八郎は寒河江の橋本屋旅館からここまで約50kmを追ってを気にしながら逃げて来たのだ。
長くなるので今日はここまで・・・
→続きはこちら。
山形新聞2012/09/15:清河八郎の旅、一緒に 上山と山形でツアー
今度の週末(9/29土、30日)に開催予定の「清河八郎 回天の道・文学散歩の旅:第4ステージ」について、9/15の山形新聞で紹介していただきました。
今回は、山形〜上山・楢下宿・金山峠までを訪ねます。
日帰り、お泊り、どちらもまだ間に合いますので、どうぞご参加ください。
詳細はこちら→http://genki-machinet-info.sblo.jp/article/58206739.html
清河八郎 回天の道・文学散歩の旅 第4ステージ
幕末の志士・清河八郎が、向学心に燃えて生家のある清川を出奔したのは、18歳の時。故郷清川から羽黒山麓を通り、松根から十王峠、大網、田麦俣、六十里越街道、寒河江、山形、上山(楢下宿)を抜け、江戸へと向かいました。
清河八郎の足跡を辿る「清河八郎 回天の道・文学散歩の旅」4回シリーズの最終ステージ、現在、申込みを受付中です。
清河八郎没後150年の今年、山形〜上山楢下宿まで、初秋の歴史街道を、ご自身の足で一度歩いてみませんか?
≪1日目≫
09:45山形駅東口集合(バス移動)七日町水の町屋御殿堰散策〜七日町羽州街道蔵の町〜出羽桜酒造山形工場を見学〜昼食〜茂吉記念館〜かみのやま温泉足湯〜16:00JRかみのやま温泉駅解散(日帰り参加の方)〜はたや旅館泊
≪2日目≫
09:45 JRかみのやま温泉駅集合〜市内散策(十日町、湯の観音、武家屋敷通り、紫苑庭休憩)〜上山城〜バスで楢下宿(散策、昼食:こんにゃく番所会席料理)〜(バス移動)〜江戸の面影を残す羽州街道の金山峠散策〜バスでJRかみのやま温泉16:00解散
A.お泊まりコース (参加費:¥11,000/人)
(参加費に含まれるもの)
● 宿 泊 : はたや旅館(男女別の相部屋)
● 食 事 : 朝1回、夕1回
● 交通機関 : 貸切バス
● 案 内 人 : 同行いたします。
※ 昼食代、入館料などは自己負担
(参加費に含まれるもの)
● 交通機関 : 貸切バス
● 案 内 人 : 同行いたします。
※ 昼食代、入館料などは自己負担
【募集人員】 Aコース、Bコースとも定員20名。定員になり次第締め切らせて頂きます。
【企 画】 NPO法人 元気・まちネット(東京)
【実 施】 回天の道上山市実行委員会
【後 援】 上山市・上山市観光物産協会、庄内町・庄内町観光協会、清河八郎顕彰会、湯田川温泉隼人旅館、出羽桜酒造株式会社
【申し込み、お問い合わせ】
回天の道上山市実行委員会(担当 上山市観光課:櫻井)
電話:023−672−1111 FAX:023−672−1112
山形新聞2012/08/25〜29:清河八郎「西遊草の道」「元気・まちネット」踏査同行記@〜D
8/15〜17に元気・まちネットが踏査・検証した「清河八郎『西遊草』の山形路」(約80km)の記事が、山形新聞に全5回にわたって連載されました。
山形新聞2012/08/25〜29
清河八郎「西遊草の道」 「元気・まちネット」踏査同行記@〜D
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山形新聞2012/08/25 清河八郎「西遊草の道」
「元気・まちネット」踏査同行記 @ 母を連れ大旅行 親孝行、豊かな人間味
山形新聞2012/08/26 清河八郎「西遊草の道」
「元気・まちネット」踏査同行記 A 田んぼ道3時間 昔人の健脚ぶり実感
山形新聞2012/08/27 清河八郎「西遊草の道」
「元気・まちネット」踏査同行記 B 江戸期、別の道中記 浮かぶ周辺の人間像
山形新聞2012/08/28 清河八郎「西遊草の道」
「元気・まちネット」踏査同行記 C 難所続く峠道 山腹の洞窟に「千体仏」
山形新聞2012/08/29清河八郎「西遊草の道」
「元気・まちネット」踏査同行記 D(最終回) 整然と並ぶ家々 いまも残る宿場の面影
元気・まちネットの踏査・検証報告はこちらをご覧ください。
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西遊草の旅 踏査・検証 @
西遊草の旅 踏査・検証 A
西遊草の旅 踏査・検証 B
西遊草の旅 踏査・検証ー3
昨日ゆっくり見られなかった小国まで移動して自治会長の五十嵐さんに小国宿について話を聞く。
昨日、小国についたとき佐野さんが思わず「大内宿だぁ〜」と声を上げた。
確かにあの福島県にある大内宿の町並みにそっくりである。但し藁葺き屋根の家は一軒も無く、まっすぐ伸びた広い通りと家並みに当時の面影を残すのみであった。
小国宿を抜け、角間台峠に差し掛かるところにまたもや巨木の杉並木の奥に熊野神社が祀られていた。
3日目の始まりも旅の安全祈願が出来るなんて、今回の踏査・検証は縁起がいいというのかついている。
両側は杉林で鬱蒼としており、暑さから逃れることが出来てまっすぐに伸びる急坂(角間台峠)もすいすい登れた。

頂上からは日本国(標高差555m)が眺望することも出来た。
下りは本当に気分よく降りること出来た。鼠ヶ関川を流れる清流を見ながら小名部(おなべ)集落に到着、昼ご飯をと店を探すがどこにも見あたらず、結局車で海側に位置する温海駅まで戻ることに・・・
昼食を終え小、再び小名部集落に戻り、山形県と新潟県境の堀切峠に入る。
山形県と新潟県の境界に位置する日本国(標高555m)入り口を西右手に見ながら安心して進んだつもりが、まむしに出会うわアブの大群、よりによって僕だけに集中攻撃を仕掛けてきたのでたまったものではない。
登りも下りも約2km、計4kmを歩き、今回の旅の目的地小俣集落(新潟県)に到着した。
この集落は小俣宿と呼ばれ、各家家の玄関先にはそれぞれの屋号が同じ大きさの板に彫られ当時の面影を色濃く残していた。「吉佐ェ門」という屋号の家に清河八郎母子は泊まったのである。
「治右ェ門」という屋号の玄関に佇むおじいさんが手招きして我々を呼んでくれている。
訪ねると「旅のみやげだ」と言っておじいさん手作りの竹とんぼをたくさんくれた。こんな出会いも手作りの旅ならではのことで心底嬉しい。
今日の距離約12km、2つの峠超えも楽しく越えることが出来、今回の「西遊草の旅」は無事終了した。
山形新聞の伊藤さん、色摩さん、佐藤ロッジの佐藤さんご夫妻、同行してくれた高橋茂さん、佐野さんに感謝したい。