2017年08月16日

荘内日報2017/06/01

清河八郎の妻お蓮さんの梅の木の苗木を分けていただけることになり、今年5月30日の清河八郎例大祭に清河神社に移植、160年越しの嫁入りとなりました。

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山形新聞2017/05/31

清河八郎の妻お蓮さんの梅の木の苗木を分けていただけることになり、今年5月30日の清河八郎例大祭に清河神社に移植、160年越しの嫁入りとなりました。
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お蓮さんの梅の木・・・

 幕末の志士清河八郎(1830~1834年)には、“お蓮”(本名:菅原高代)という妻がいた。

 1855年(安政2年)4月15日、25歳の八郎は母亀代(40歳)を伴い、半年間に及ぶ諸国漫遊の旅をして、実家のある清川村(現山形県庄内町清川)に帰ったのは10月20日のことだった。江戸からは友人の安積五郎も同行する。実家に戻った八郎は、安積五郎を誘い鶴ヶ岡八間町の妓楼うなぎ屋で遊び1泊、翌日うなぎ屋から呼んだ女たちを湯田川温泉で唄わせ、酒を呑ませ、自分たちも浴びるほど呑んだ。安積は元禄の昔、吉原で金銀をまいて女たちに拾わせたという、紀ノ国屋(文左衛門)のことを思い出し、節分の豆まきを真似して、金をばらまいた。
 女たちは嬌声をあげて座敷を這い、落ちた金を奪い合った。そのとき、ふと一人の女に目を奪われる。一人だけ部屋の隅に座って、騒ぎには加わらず、ひっそりと座敷の混乱を見ていた。その夜、八郎はうなぎ屋に戻ると、高代というその女を呼んだ。「何もしなくてもよい。一緒にいてくれれば良いと・・・」その後、あの清らかな高代を忘れることが出来なかった八郎は、素封家の長男に遊女を嫁にとるわけにはいかないという猛反対を押し切って一年後に身請けをすることになる。「蓮は花の君子なる者なり」と続く宋代の儒者:周廉渓「愛蓮の説」の一節、「泥中から出て、清く香る蓮」こそ、高代の名にふさわしいと“お蓮”と名前を変えた。−西遊草より抜粋−

 祝言をあげることは出来なかったものの1856年(安政3年)仙台で所帯を持ち、江戸に戻ると二度目となる清河塾を淡路坂に開塾、北辰一刀流千葉周作道場で生涯の朋となる山岡鉄太郎(後の山岡鉄舟)と出会う。しかし、それもつかの間、江戸の大火で塾は焼失、三度目となる塾を神田お玉が池に開塾するが、江戸の政情は不安定なり、ついに1860年(万延元年)井伊大老が暗殺される。それに衝撃を受けた八郎は山岡鉄舟、高橋泥州らと“虎尾の会”を結成、尊王攘夷へと突き進む。翌年、町人切りの汚名を着せられ逃亡を図るも、逃亡の手助けをしたとしてお蓮や弟・同志が捕縛され入牢、1862年(文久2年)お蓮は八郎に遭えぬまま獄死する。

 八郎との生活はたったの6年に過ぎなかった。

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お蓮さん(旧姓高代)の生家には樹齢300年を超える梅の古木が現存する。
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2015年6月、私は鶴岡市熊出(くまいで)にあるお蓮さんの生家を訪問して、末裔となる菅原氏にこれまでの事情を説明、梅の古木を見せて頂いた。
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職業意識から梅の古木からの実生木(苗木)がないものかお尋ねしたところ、1mを超す実生木3本を育てているという。
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2016年、お蓮と所帯を持ってからちょうど節目の160年を迎えた。この機会に八郎夫婦を清川の皆さんと共に祝ってあげたいと思い、10月、菅原氏に梅の苗木を分けて頂けないかと相談したところ、快く引き受けて頂くことが出来た。
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そして2017年5月30日(火)「清河八郎例大祭」に合わせ、「お蓮さんの梅記念植樹祭」を開催することが出来た。
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タグ:活動報告
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2014年12月09日

山形新聞2014/11/12

最上川を中心に美しい桜並木づくりを目指す山形新聞・山形放送の8大事業「最上川さくら回廊」。山形新聞2014/11/12「植栽者の願い」の中に、元気・まちネット代表理事:矢口のコメントも掲載されました。

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2014年12月08日

山形新聞2014/11/02

山形新聞・山形放送の8大事業「最上川さくら回廊」において、添川の大森山(月山、鳥海山、庄内平野が一望できる「山伏峠」のピーク)に植樹が行なわれるということで、元気・まちネットも応募、最上川を中心にした美しい桜並木のひとつに「回天の道」も加わる事を願って、植樹させていただきました。(植樹当日のレポートはこちら

当日の模様が、山形新聞に紹介されました。

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Youtubeに動画もアップされています。

枝垂れ桜を植樹させていただきました。
桜の花が咲く季節に、是非訪れてみたいです。

続きを読む
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2014年12月07日

回天の道「山伏峠」(鶴岡市添川「大森山」)に桜の木を植樹

元気・まちネットでは、清河八郎が18歳のとき清川村を出奔し、清川から羽黒山麓を巻き六十里越街道から寒河江、山形を抜け上山まで至る街道(約150km)を“回天の道”と位置付け、2009年2010年の2回に分けて踏査・検証しました。

この度、山形新聞・山形放送の8大事業「最上川さくら回廊」において、添川の大森山(月山、鳥海山、庄内平野が一望できる山伏峠のピーク)に植樹が行なわれるということで、元気・まちネットも応募したところ見事当選!最上川を中心にした美しい桜並木のひとつに「回天の道」も加わる事を願って、植樹させていただきました。

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image815.gif当日の模様や、コメントが山形新聞に取り上げられました。
●当日の模様● 山形新聞2014/11/02
●植樹者のコメント● 山形新聞2014/11/12
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2013年12月06日

山形新聞2013/11/30

11/4(月・祝)にシンポジウムを開催した「清河八郎を学び語る会」(会長は元気・まちネット会員の高橋茂さん)と湯田川温泉観光協会の取り組みが、山形新聞の論説・解説「土曜コラム マルチアングル」で取り上げられました。
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2013年10月21日

山形新聞、庄内日報、読売新聞(山形)2013/10/18

清河八郎と縁の深い庄内の奥座敷「湯田川温泉」。
今年4月、地元有志の方々で歴史を活かし湯田川を盛り上げようと「清河八郎を学び語る会」を結成、11/4(月・祝)にシンポジウムを開催します。主催は「清河八郎を学び語る会」(会長は元気・まちネット会員でもある高橋茂さん)と湯田川温泉観光協会、協力は元気・まちネットです。

当日は山形大学教授:山本陽史先生の基調講演「清河八郎幕末日本をゆく」をはじめ、清河八郎が母を連れて諸国漫遊の旅に出た「西遊草」の道を散策します。イベントの詳細、お申し込みはこちらへ。

10/18(金)には、山形新聞、庄内日報、読売新聞(山形)の3紙に一斉に掲載されました。

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2013年09月26日

朝日新聞(山形)2013/09/01

9月1日の朝日新聞(山形版)に、清河八郎に関する記事が掲載されました。
没後150年を迎えた今年、その人物像に注目が集まっているようです。
記事の後半には、元気・まちネットの取り組みが紹介されています。
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2013年04月23日

清河八郎「回天の道」が掲載!「立谷沢川(たちやざわがわ)流域散策手帖」

image_kyokucho2s.gif幕末の志士清河八郎が生まれ育った山形県清川より観光スポットをまとめた小冊子が発行された。
 
「立谷沢川(たちやざわがわ)流域散策手帖」・・・
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4年前の初版に情報量を増やしバージョンアップされた。
この立谷沢川に流れる出る水は霊峰月山を源として「平成の名水百選」にも選ばれた清流で、最上川に注いでいる。
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清河八郎が江戸に出るため辿った街道を山形新聞の記者さんと見つけ、地元の皆さんと整備し「回天の道」と名付け、毎年「回天の道・文学散歩の旅」として約4kmの古道トレッキングを開催してきた。
こうして地元の小冊子に載ることでこれまでの”苦労”が報われた想いがする。
苦労と書いたがホントは楽しくて仕方なかったのだが・・・(笑)
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「回天の道」とは・・・藤沢周平さんが清河八郎を書いた本のタイトルが「回天も門」から名付けました。

お問い合わせ&お取り寄せ先
≪商工観光課 立谷沢川流域振興係≫ TEL(0234)56-2213
ふれるほどやさしくなる立谷沢川流域」のサイトで詳細が紹介されています。必要な方には郵送していただけるようですので、お電話でお問い合わせしてみてください。image1.gif
タグ:お知らせ
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2013年01月29日

山形新聞2013/01/19:江戸時代の関所再現 庄内・旧清川小跡地に歴史公園構想

image_kyokucho2s.gif7年前は高橋靖一郎さんと、晩夏と一昨年は橋田さんと、5年前、昨年は佐野さんと、「最上川舟下り」(冬はこたつ舟で雪見酒)を満喫しました。
舟下りを終えて車で15分ほど西に進むと最上川に沿って「清川地区」があります。(現在は庄内町清川、合併前は清川村、隣は私の生家のある戸沢村です。笑)
 
庄内町清川は、舟運で栄え、旧くは源義経(最上川乗船)や松尾芭蕉(最上川下船)、また幕末の志士清河八郎の生家、戊辰戦争の戦地として歴史・文化の香りが残る風光明媚な場所です。

清河八郎が好きで調べたり歩いたりしているうちに地元にも大勢の知り合いを得ることが出来、そんな背景もありこともあり、地元の方から歴史の里「清川歴史公園基本構想策定業務」を依頼されました。
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コーディネーターは「元気・まちネット」、構想計画策定は所属していた「椛u環境計画」が役割分担して半年間掛けて昨年12月完成、納品しました。まちネットは金銭授受は無く往復の交通費、宿泊費のみの実費だけでした。
 
NPOの名前や椛uの名前は載っていませんが、1/19(土)の山形新聞にカラーの鳥瞰図入りで大きく掲載されました。
ここまで大きく取り上げられたら庄内町も推進しなければならないでしょう・・・(笑)

やっとNPO法人としての形が出来つつ見えつつあります。会員の皆さんに感謝申し上げます。
 
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2012年12月05日

山形新聞2012/12/03(社説):清河八郎「西遊草の道」歴史生かして地域振興

清河八郎「西遊草の道」、そして元気・まちネットが提案する広域連携の必要性について、山形新聞の社説に取り上げていただきました。
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2012年11月14日

清河八郎 回天の道・文学散歩の旅(第4ステージ: 二日目)

“元司は無事に大網の関所を通り、その夜は田麦俣の笹小屋に泊まると、翌五月三日国境を越えた。二日後の五日の夕方、元司は上ノ山城下の街道沿いの宿(中村屋)の二階から、通りを見下ろしていた。畑田がやってくる日だった。―藤沢周平著「回天の門」の一節より―”
 
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上山温泉の宿に下男の男が八郎を追っ手やってきた。
しかし八郎は清川に戻ることはなかった。
江戸で立派な学者になると下男を説き伏せ一人江戸に向かった。
 
我々もなじみの「はたや旅館」に落ち着き、初日の旅の疲れを癒した。

【2日目:9月30日(日)、上山から楢下宿〜金山峠】 
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09:45 JRかみのやま温泉駅集合、昨日庄内からの参加者が帰ってしまったが、山形市内から近藤さん夫妻が参加してくれて賑わいが増した。上山市観光課の石井課長さんのガイドでまずは湯街温泉街を歩きながら中村や旅館の跡地を見学、下大湯から温泉神社、武家屋敷を巡り地元のご婦人会が旅行客をもてなす紫苑庭でしばしの休憩、「おもてなし」の原点のようなご婦人方の笑顔に疲れも吹っ飛ぶ。
 
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紫苑庭をあとにして上山城へ、今年で築城30年を迎えたとか・・・
天守閣から眺める蔵王連峰と市街地は圧巻だった。階段を下りながら上山の歴史を知る工夫が施されていてもっとゆっくり見たかったが時間の都合上、さら〜っと眺める程度に終わった。残念!
旅館を囲む木製の塀に上山の歴史を描いたのは面白く、真剣に読みたかったのだが、ここも時間の都合上、カメラに収めるのがやっとだった。
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バスに乗り込み、昼食は楢下宿にある「こんにゃく番所」に、一度伺ったことはあるがこんにゃく懐石を楽しめると思うとゾクゾクワクワクする。
まあ、ご覧の通りホンモノかニセモノか、味をみても姿形を見てもそう簡単には見破れそうもない。ホンモノのこんにゃくだからニセモノということはあり得ないのだ。お土産まで頂き、さらに別室で珈琲まで頂いて満足してこんにゃく番所を後にした。
 
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さらにバス移動して、八郎が見つかることを恐れ素通りした楢下宿を見学する。
地元のガイドの遠藤さんに楢下宿の歴史をレクチャーして貰い、大黒屋のいろりを囲みながら当時の生活習慣などについて丁寧に教えて頂いた。
楢下宿から移動して山形県と宮城県の県境にあたる金山峠の一部を歩き、清河八郎が江戸へ出奔したときに思いを馳せ、今回の文学散歩の旅を無事終えることが出来た。
 
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2日間にわたり丁寧に案内して頂いた石井さん、櫻井さんに心より感謝致します。
またお土産まで頂いたこんにゃく番所の丹野社長さん、有難う御座いました。

初日のレポートはこちら。
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2012年10月25日

清河八郎 回天の道・文学散歩の旅(第4ステージ:初日)

清河八郎は向学心に燃えて江戸へ向かうため生家の清川を出奔したのは今から164年前、18歳のときだった。
(藤沢周平著「回天の門」を参照)

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私たちは回天の道と名付け清川から上山楢下宿、金山峠まで約150kmを踏査・検証して「文学散歩の旅」を広域連携した企画を打ち立てた。春には山伏峠を歩き、六十里越街道は来年に持ち越したが、ステージ4を前倒しして実施した。

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【9月29日(土)初日:山形から上山へ】
10:00元県庁だった文翔館を見学して歩き旅はスタートした。
台風の接近で雨が心配されたがどうしてどうして「晴れ男」は健在だった。
七日町通りは旧羽州街道で、現在では蔵を改造したレストランやお土産さんなどが並んでいる。
ちょっと前は今より4倍ほど蔵屋敷が並んでいたらしいが今では数えるくらいしか残っていない。

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御殿堰、西村写真館、紅の蔵などを「山形歴史たてもの研究会」事務局長小林さ和彦さんに詳しく案内して頂きながらじっくり見学することが出来た。
西村写真館は小林さんのご親戚らしく大正10年創業で以来74年に渡りこの地で写真館を続け平成7年に廃業、内外装は当時のまま で今年公開されるに至った。
http://www.retorokan.org/contents/history20120917_b_1.htm

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結構歩いた。6kmも歩いたらしい。
山形の最後は”出羽桜酒造”の工場見学、本店は天童にあるのだが、今回は羽州街道添いにある山形工場を見学させて頂く。
1893年創業ということは今から119年も前の創業ということになる。

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【フルネット社が隔年で出版する「地酒人気銘柄ランキング」において、「桜花吟醸酒(詳しくはこちらのページ)」が吟醸酒部門で 12年連続第1位を獲得しました。「地酒人気銘柄ランキング」は全国の名酒居酒屋100店からの人気投票を集計することにより人気度をランキングしています。 HPより抜粋】
もう仕込みに入っていることだろう。出羽桜が出来るまでを杜氏の井上さんから丁寧な説明を受けることが出来た。
残念なことは試飲が出来なかったこと。う〜ん・・・次回に期待しよう!

出羽桜さんの隣には山形のそばではその名を知られる”三津屋そば”さんで遅い昼食となった。
ここは本店で知人に連れられて2,3度来たことがあった。
いつもはキャッスルホテル前の店に行くのだが、ここの”かしわザル”が好みの味である。

【9月29日(土)初日:茂吉記念館】
そば昼食を終え、一行は車で上山市みゆき公園内にある「斎藤茂吉記念館」を見学する。
私の父は茂吉の弟子結城哀草果が好きで小さい頃ラジオから流れてくる結城哀草果の詩をいつも聞いていた。
茂吉については全くの門外漢で知っていることと言えば、正岡子規に影響を受けて作歌を志すようになったことぐらいか。

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「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ 蔵王の山の雲の中にたつ」

この歌碑は蔵王にあったので何とか知っている。
息子の北杜夫の著書はむかし良く読んだ。
 
記念館を出て一行は上山市街を抜け、八郎が泊まったと言われる「中村屋旅館」(今は銀行が建っている)の前を過ぎ、上山駅前に到着した。暑かったー!!
今日の宿はこの「回天の道」やイザベラ・バードの踏査・検証以来、お世話になっている「はたや旅館」さんにお世話になる。
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清河八郎は寒河江の橋本屋旅館からここまで約50kmを追ってを気にしながら逃げて来たのだ。
長くなるので今日はここまで・・・

続きはこちら。
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2012年09月23日

山形新聞2012/09/15:清河八郎の旅、一緒に 上山と山形でツアー

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今度の週末(9/29土、30日)に開催予定の「清河八郎 回天の道・文学散歩の旅:第4ステージ」について、9/15の山形新聞で紹介していただきました。
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今回は、山形〜上山・楢下宿・金山峠までを訪ねます。
日帰り、お泊り、どちらもまだ間に合いますので、どうぞご参加ください。

詳細はこちら→http://genki-machinet-info.sblo.jp/article/58206739.html

 

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2012年09月13日

清河八郎 回天の道・文学散歩の旅 第4ステージ

幕末の志士・清河八郎が、向学心に燃えて生家のある清川を出奔したのは、18歳の時。故郷清川から羽黒山麓を通り、松根から十王峠、大網、田麦俣、六十里越街道、寒河江、山形、上山(楢下宿)を抜け、江戸へと向かいました。

清河八郎の足跡を辿る「清河八郎 回天の道・文学散歩の旅」4回シリーズの最終ステージ、現在、申込みを受付中です。
清河八郎没後150年の今年、山形〜上山楢下宿まで、初秋の歴史街道を、ご自身の足で一度歩いてみませんか?

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開催日:2012年9月29日()、30日(


≪1日目≫
09:45山形駅東口集合(バス移動)七日町水の町屋御殿堰散策〜七日町羽州街道蔵の町〜出羽桜酒造山形工場を見学〜昼食〜茂吉記念館〜かみのやま温泉足湯〜16:00JRかみのやま温泉駅解散(日帰り参加の方)〜はたや旅館泊 

≪2日目≫
09:45 JRかみのやま温泉駅集合〜市内散策(十日町、湯の観音、武家屋敷通り、紫苑庭休憩)〜上山城〜バスで楢下宿(散策、昼食:こんにゃく番所会席料理)〜(バス移動)〜江戸の面影を残す羽州街道の金山峠散策〜バスでJRかみのやま温泉16:00解散
 

A.お泊まりコース (参加費:¥11,000/人) 
    (参加費に含まれるもの) 
        ● 宿   泊 : はたや旅館(男女別の相部屋)
    ● 食   事 : 朝1回、夕1回
    ● 交通機関 : 貸切バス
    ● 案 内 人 : 同行いたします。  
    ※ 昼食代、入館料などは自己負担

B.日帰りコース (参加費:¥3,800/人、両日参加の場合は¥7,300/人) 
    (参加費に含まれるもの)
    ● 交通機関 : 貸切バス
    ● 案 内 人 : 同行いたします。 
    ※ 昼食代、入館料などは自己負担

【募集人員】 Aコース、Bコースとも定員20名。定員になり次第締め切らせて頂きます。

【企   画】 NPO法人 元気・まちネット(東京) 
【実   施】 回天の道上山市実行委員会
【後   援】 上山市・上山市観光物産協会、庄内町・庄内町観光協会清河八郎顕彰会湯田川温泉隼人旅館出羽桜酒造株式会社


【申し込み、お問い合わせ】
回天の道上山市実行委員会(担当 上山市観光課:櫻井)
電話:023−672−1111 FAX:023−672−1112
 
チラシ、申込書はこちら
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2012年09月09日

山形新聞2012/09/05:『取材雑記』心に響く親切心

9/5の山形新聞の「取材雑記」に、8月に実施した「西遊草の旅:踏査・検証」が取り上げられました。

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2012年09月02日

山形新聞2012/08/25〜29:清河八郎「西遊草の道」「元気・まちネット」踏査同行記@〜D

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2012年08月26日

西遊草の旅 踏査・検証ー3

正しい日本の朝食に大満足しているところに山形新聞社さん迎えの車が到着、鼠ヶ関を後にする。
 
昨日ゆっくり見られなかった小国まで移動して自治会長の五十嵐さんに小国宿について話を聞く。
昨日、小国についたとき佐野さんが思わず「大内宿だぁ〜」と声を上げた。
確かにあの福島県にある大内宿の町並みにそっくりである。但し藁葺き屋根の家は一軒も無く、まっすぐ伸びた広い通りと家並みに当時の面影を残すのみであった。
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小国宿を抜け、角間台峠に差し掛かるところにまたもや巨木の杉並木の奥に熊野神社が祀られていた。
3日目の始まりも旅の安全祈願が出来るなんて、今回の踏査・検証は縁起がいいというのかついている。
両側は杉林で鬱蒼としており、暑さから逃れることが出来てまっすぐに伸びる急坂(角間台峠)もすいすい登れた。
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涼しかったお陰でなんなく頂上にたどり着くことが出来た。
頂上からは日本国(標高差555m)が眺望することも出来た。
下りは本当に気分よく降りること出来た。鼠ヶ関川を流れる清流を見ながら小名部(おなべ)集落に到着、昼ご飯をと店を探すがどこにも見あたらず、結局車で海側に位置する温海駅まで戻ることに・・・
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昼食を終え小、再び小名部集落に戻り、山形県と新潟県境の堀切峠に入る。
山形県と新潟県の境界に位置する日本国(標高555m)入り口を西右手に見ながら安心して進んだつもりが、まむしに出会うわアブの大群、よりによって僕だけに集中攻撃を仕掛けてきたのでたまったものではない。
登りも下りも約2km、計4kmを歩き、今回の旅の目的地小俣集落(新潟県)に到着した。
この集落は小俣宿と呼ばれ、各家家の玄関先にはそれぞれの屋号が同じ大きさの板に彫られ当時の面影を色濃く残していた。「吉佐ェ門」という屋号の家に清河八郎母子は泊まったのである。
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「治右ェ門」という屋号の玄関に佇むおじいさんが手招きして我々を呼んでくれている。
訪ねると「旅のみやげだ」と言っておじいさん手作りの竹とんぼをたくさんくれた。こんな出会いも手作りの旅ならではのことで心底嬉しい。
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今日の距離約12km、2つの峠超えも楽しく越えることが出来、今回の「西遊草の旅」は無事終了した。
山形新聞の伊藤さん、色摩さん、佐藤ロッジの佐藤さんご夫妻、同行してくれた高橋茂さん、佐野さんに感謝したい。

 
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