2016年02月16日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その4

【5月7日(木)晴れ、新庄〜及位/約35km】

6時起床、文兄がウオーキングの帰りに買って来てくれたおにぎり2個と水を貰い、7時万場町の兄宅をスタートする。旧道を小一時間歩くと羽州街道(国道112号)に合流、一路金山町へ。途中羽州街道の杉並木が一本だけ残っているのをカメラに収め、上台峠入口に到着したのは9時半、ここから旧道に入り、新緑に染まる雑木林の砂利道をゆっくりと歩く。足裏に痛みが走るのでゆっくりとした足取りでないと歩けないというのが本音なのだ。

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途中樹木が途切れたところにヤマザクラが植えられていることに気付く。2012年(金山でのシンポジウム)には植えられていなかったハズだが、誰が、何のために、いつ頃植えてくれたのだろうか。熊野神社までの間に3ヶ所ほどに約20本植えられていた。熊野神社を少し下った右側の住宅の庭で作業をしていた方にサクラのことを尋ねると、ここ最近、上台峠を歩く人が増えたので、昨年と一昨年に分けて20本ほど地元で苗木を購入して植えてくれたのだと言う。嬉しい限りである。」

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お礼を述べて再び羽州街道に戻り、金山町役場に到着したのはちょうど11時だった。産業課商工景観交流係の丹氏を表敬訪問、ちょうど前課長の須賀さんも来ていたので色々な話が出来た。「上台地区の皆さんがサクラを植えていてくれたこと」、「商工景観交流係に異動した職員は必ず、バードのシンポジウムを担当したらどうだろう」とか「“バードの町“と宣言して良いんじゃないですか」などを提案、6月14日(日)の旅では、「参加者の送迎でマイクロバスを出して貰えないか」と相談、快諾して頂くことが出来た。30分ほどお邪魔して「一福や」に移動する。

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足の痛みでは、及位までの15kmを歩いて午後3時半までたどり着くことは不可能と判断、まちネット山形会員の高橋さんに救急搬送を依頼する。快諾して貰えたので、矢口夫妻と歓談しながらゆっくりバードランチ(焼きおにぎり+お漬物)を食することが出来た。¥500-(珈琲はサービス)途中の栄養補給のためにと、焼きおにぎり2個を貰い、午後12時半スタートする。

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森合峠に入ったのが午後1時、30分ほどで森合峠を越えて国道に出る。途中に田山花袋の碑があった。
余談だが田山花袋著の田舎教師は埼玉県羽生市を舞台にした小説で、日本一周の旅に出た花袋は、秋田からの帰りにこの森合峠を通った。そのときに月山を眺めながら詠んだ短歌が石碑に刻んである。”夕日影 沈まんとする大空に 月の山こそあらわれけり“

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森合峠から国道脇の日当の松並木を抜け、午後2時半ごろ、金山町和田の大きく左カーブの下りを歩いていると、産廃業車の運転手さんから「どこまで行くの?」「及位まで」「まだ結構あるよ、乗って行くか?」「いや、有難う、乗るとズルしたことになるから」と答えると、にっこり笑って「じゃ、気を付けて」と言って走り去った。パンチパーマにチョビ髭をはやした気のいいお兄さんの優しさに思わずうるっときてしまった。
和田地区内を歩いていると前方に見覚えのある黄色いジープが?あれっ色摩さんがしゃがんでカメラを構えている。うっそー・・・手を上げ近づいて来る。「どうしたんですか?」「いやいや、もう及位に着いたかなと焦って来たんだけど会えて良かった」心配でわざわざ駆けつけてくれたのだ。

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嬉しいねぇ〜ホント嬉しい。写真を撮ってくれてまた先に行って待ってくれているという。主寝坂峠に入るところで高橋茂さんが激励に来てくれた。これで勇気100倍、なんとか完歩できそうに気分になって来た。
主寝坂峠に入るとグーッと気温が下がり、寒さが身に浸みる。800mあるトンネルを抜けるともうすぐ及位駅も近い。すると前方に色摩さん、高橋さんが手を挙げて待っていてくれた。ゴールかと思いきやまだ少し先だと言う。勇気を奮って歩き出す。そしてついに午後5時きっかりに及位駅に到着することが出来た。ああ〜150kmはホント長かった〜・・・

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色摩さんとはここで別れる。本当に有難う御座いました。高橋さんの車に同乗して実家まで送って貰った。彼に迎えに来て貰うことが出来なかったらどうしただろうと思うとゾッとする。
こうして、「イザベラ・バードの山形路(150km)」を歩き通すとことが出来た。残り50km(小国13峠)のことが気になって来た。

2015年11月10日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その3

【5月6日(水)晴れ、大石田〜新庄/約25km】

 6:30起床、よく眠れた。準備をして朝食を頂く。宿の女将さん(おばあちゃん)が世間話をしながらごはんをよそってくれた。話をしているうち、梅津先生と芭蕉の勉強会や旅でご一緒する間柄とかで、ビックリした。有路さんは芭蕉風の出で立ちで迎えに来てくれたので部屋で少しだけ待って貰うことにして、早々と食事を済ませて午前8時、宿を出発した。

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 有路さんの案内で芦沢駅まで旧道を歩く。9時45分芦沢駅着、距離にして約8km、10時駅から毒沢の交差点まで約3.3km歩き11時、毒沢の交差点着、ここから猿羽根地蔵山まで旧道を歩く。新緑の中を歩くのは実に気持ちがいい。

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キブシ、タムシバ、マメザクラ、ヤマフジなどが咲き乱れ、足元にはコゴミの成長したクサソテツが新緑の峠道を華やかに彩っているので飽きがこないし、2.5kmの峠道もあっという間に上ってしまった。樹間越しからは残雪を抱いた月山がはっきり眺めることも出来た。

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ちょうど1時間で山頂の地蔵尊に上がることが出来た。有路さんの友人夫妻が待っていてくれた。少し下って友人が経営する「ぎゃらりぃ悠里」で昼食を摂り、4人で2時間ほど歓談する。バードの旅を初めて8年目で、ここから初めて鳥海山を眺めることが出来た。有路さんとはここまでで、3人に別れを告げ、ぎゃらりぃ悠里の阿久津夫妻にも見送られ、痛みを増した足を引きずりながら旧羽州街道をただひたすら、新庄にある「ブナの一里塚」を目指して歩く。

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やっとのことで新緑のブナに会えた。猿羽根峠からここまでは旧道にまつわる新たな資料は見つかっていない。巨木のブナを数枚写真に収め新庄駅を目指す。午後5時やっとの思いで最後の10kmを歩くことが出来た。

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 兄の住む万場町に歩く力は残っていない。タクシーを拾って兄宅に向かう。風呂を沸かして待っていてくれた。ゆっくりと風呂に浸かり旅の疲れを癒す。風呂から上がり大きく育った水ぶくれと肉刺(マメ)の手当てをして、午後6時、羽賀先輩の待つ「焼き鳥屋さかい」に向かう。羽賀先輩の知り合いで新庄祭り「新庄山車連盟筆頭副会長」の川崎夫妻を紹介され、一緒に飲む。今日もご馳走になり午後9時帰宅して就寝。ああ〜しんどかった。

2015年11月09日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その2

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【5月5日(火)晴れ、天童〜大石田/約35km】

 6時起床、ホテル隣のコンビニでおにぎり2個と飲み物、バンドエイドを購入、部屋で右足小指と左足裏の肉刺(マメ)にバンドエイドを貼り、午前7時天童をスタートする。

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 今日は大石田駅前までの約35kmを予定。ここからの羽州街道は直線で高低差がなく平坦な道が続く。約1時間半あまり歩くと左手前方には真白い雪に覆われた雄大な月山と手前には雪が解け始めた葉山が見えてきた。バードも同じ景色を眺めながら歩いたことだろう。

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 9時30分、さくらんぼ東根駅前を通過、バードも見かけたであろう松並木を見上げながら、歩を進めると麩で有名な六田(ろくだ)に入る。甘いものが欲しくなり、何度かお邪魔したことのある「文四郎の麩」に入るとお嬢さんと思われる女性が「あら、またバードの旅ですか?お茶をどうぞ。」と薦めてくれた。小休止、そして麩ドーナツを買って食べながら歩を進め、11時村山駅を通過、駅前に出来た甑(しよう)葉(よう)プラザ内の芝生広場で小休止、お腹が空いて来た。この近くで昼飯を摂らないとハンガーノックになってしまいそうだ。

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 大きな岩を抱くように伸びるケヤキが特徴の愛宕神社を通過、1881年(明治14年)明治天皇の東北巡幸を見据え、当時の県令だった三島通庸が1978年に岩山の開削工事を行い、このとき切り離され残ったのがこの岩山だったということは、バードも開削され直線となったこの道路を通ったに違いない。なかなか食べるところが見つからない。愛宕神社の坂を下りたところに食堂の看板が見えたが、GW期間中のため休業の看板が・・・頭の中は食べることで一杯だった。

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 前方に「尾上の松」が見えてきた。たしか昔ドライブインだったところなので「何かあるかも知れない」と歩く速度も自然と速くなる。食堂の看板が見えた。ああ〜やっと昼飯にありつける。時間はすでに12時50分、天丼定食を注文、貪り食う!午後1時30分食堂を出発、村山を過ぎたということは間もなく袖崎(そでさき)に入る。袖崎小学校を過ぎ、取上坂を下った田んぼの畔に地元の歴史研究会の皆さんが建ててくれた「清河八郎、イザベラ・バード鳥海山眺望の地」と書かれた標柱に出会う。午後2時20分、湯舟沢温泉の大泉さんに6月お世話になる旨の電話をする。

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 足の小指の肉刺も、左足裏の水ぶくれも痛みを増し、歩くことさえ困難になって来た。写真を撮ろうと足を止め、カメラに収め歩き出そうとするときが一番痛む。だましだまし、恐る恐る一歩また一歩と踏み出しながら歩き始める。やっと大石田へのサインが見えてきた。尾花沢市街は何度も通っているので、今日は最上川沿いに沿って歩こうとバイパスを左折してちょっとした峠を越えて進む。

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 すると左手前方に雄大な流れを見せながら最上川滔々(とうとう)と流れていた。石垣に腰を下ろし休み休み大石田を目指す。そしてやっと長い坂を終え左に曲がると大石田の駅が見えて来た。午後3時15分、駅前にある最上屋旅館に到着。8時間15分、距離にして35km、今日も良く歩いた。チェックインしてまず足を確かめる。うわ〜凄い。左足裏の血豆に貼ったバンドエイドをはみ出し、大きな水ぶくれとなって広がっている。これじゃ痛い訳だ。女将さんに縫い針と塗り薬を借りて、マメの水を抜き、消毒してバンドエイドを二重にして貼る。立ち上がって最初の一歩がそれこそ重病人のような格好になっている。温めの湯にゆっくり長く浸かって今日の疲れを癒す。

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 部屋に戻ると急に眠気が襲って来た。今晩呑むことになっている大石田体育協会会長の飛渡さんに連絡をとり、しばし休憩。6時20分ごろ渡海さんが宿まで迎えに来てくれる。渡海さんの車で居酒屋に向かう。少し遅れて有路さん、森さんが到着、とりあえず4人で乾杯する。有路さん、森さんのお二人は、昨年6月蔵王で開催したスポーツイベントにボランティアをやって頂いたので顔見知りだったこともあり、スムーズに会話することが出来た。20分ほど遅れて飛渡さんも合流、大石田スキー協会のことや、今回の旅の話で盛り上がった。明日は有路さんが猿羽根山まで一緒したいと言ってくれた。

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 散々ご馳走になり渡海さんに宿まで送って貰い21:30宿に戻った。流石に今日は疲れて一気に深い眠りに落ちていった。
2015年11月06日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その1

元気・まちネットの代表:矢口が、イザベラ・バードの山形路を追体験。
今回は赤湯〜及位(のぞき)まで、自分の足のみで辿る"がち"歩く旅。
旅のレポート「北遊草」をお届けします。
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【5月4日(月)晴れ、赤湯〜天童/約55km】

 東京駅6時12分発「つばさ」に乗る。GWだというのに意外と空いているのはちょっと驚いた。同行予定だった高橋さんは家族サービス、佐野さんは仕事が多忙なため、今回は一人旅となった。
 考えてみればこれまであまり一人旅はしたことがなかったように思う。決して嫌いではないのだが、一人旅の寂しさみたいのがあったのだと思う。人間はいずれ死ぬときは一人なのだから、旅ぐらい一人で出来なくてはこの先どうなるのだ。なんて思いながら友人とメールのやりとりをしているうちにつばさは定刻通り赤湯駅に到着した。改札を出るやなんと喪服姿の沼沢君が・・・これから旅が始まるというのに縁起でもない。(笑)

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 沼沢君にこれと言った用事があったわけではないのだが、旅の始まりが赤湯駅では、彼に黙ってスタートすることは出来ないということで、予め沼沢君には連絡しておいたのだ。
「どこまで行くんですか?」「及位(のぞき)まで」「えっ、及位?どのぐらいあるんですか?」「150km」「そりゃ無理ですよ」「まあ、何とかなるでしょ、行けるとこまで行ってみるよ」・・・そんなやりとりをして午前8時50分、赤湯駅をスタートする。駅から東に3kmほど進むと赤湯の温泉街が現れる。

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 イザベラ・バードは赤湯温泉に泊まる予定にしていたのだが、「三味線をかき鳴らし、琴をきぃきぃ弾き、その音に我慢出来なかった」ので、そこから16マイル(約25km)離れた上ノ山温泉まで足を延ばしたのである。温泉街を抜け、白竜湖を右に見ながら取上坂(鳥上坂)を上り、レンガ造りの隧道をくぐり抜け、羽前中山駅を目指す。周りの畑地にはサトザクラは満開を迎えていた。

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 スタートして2時間あまり歩いて午前11時30分、中山駅を通過、すると突然ビバルディの四季が流れてくる。どこで何のために流しているのだろう?そんなことを考えながら歩いていると、上山温泉が近づいて来た。バードが祭りの前夜に立ち寄ったという石崎神社を左手に観ながら、石井さんと待ち合わせしていた上山温泉街カミン(百貨店)に12時ちょうどに到着した。

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 石井さんとのお付き合いは長く、イザベラ・バードの山形路を踏査した2007年、バードに関する資料をまとめて会社に送って下さった方で、踏査・検証の途中、お世話になる「はたや旅館」の前に立ち、笑顔で迎えてくれたときの人なつこそうな笑顔は今でも忘れられない。

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(写真は2007年初踏査の時のもの)

スポーツイベントの合間を縫って会いに来てくれた。嬉しい限りである。昼時だったこともあり、そば屋で昼食を食べながらバードの思い出に浸る。ゆっくりはできなかったが、それでも2時間近く話をすることが出来た。

 石井さんに見送られ午後1時50分、「さかえ蕎麦店」を出発する。斉藤茂吉記念館を過ぎ、旧羽州街道を山形に向かう。途中リナワールド(遊園地)付近で雨が落ちて来た。タブレットやカメラを持っていたので慌ててコンビニに入りビニール傘を購入したが、それ以降、降る様子はなく、傘を持って歩くことになる。体も足も快調だが、7kgあるバッグを背負っての歩きは結構しんどい。
 午後3時過ぎ山形市内に入ったが、予定より時間がかかっている。山形キャッスルホテル前で元山形新聞のカメラマンだった色摩さんと3時半ごろに会うことになっていたのが、この分だと少し遅れそうだ。途中自転車に乗ったおじさんが、背負っている旗を見て「なんで歩いてるの?」と聞かれたりして、色摩さんと会えたのは午後4時になっていた。冷たい飲み物を頂き少し元気を回復する。夕方の再会を約束して再び歩き出す。『・・・大通りの奥の正面に堂々と県庁があるので、日本の都会には珍しく重量感がある。どの都会も町はずれはとても貧弱だが、新しい県庁の高くて白い建物が低い灰色の家並みの上に聳えて見えるのは、大きな驚きを与えるー高梨健吉著・日本奥地紀行よりー』と、七日町通りから見た県庁(現文翔館)を書いている。歩き始めてすでに30kmが過ぎ、足の小指にわずかだが痛みを感じるようになって来た。

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 馬見ヶ崎川に掛かる千歳橋を渡ったときはすでに午後6時(18:10)を過ぎていた。
歩き始めて約40km、9時間を優に超えている。天童までは残り11km、何時ごろ到着するのだろう、ちょいとばかり不安になって来た。早朝ウオーキングでは10kmを90分〜100分で歩けているが、7kgのバッグを背負って歩くのは初めての経験で、どのぐらい掛かるのか全く予想がつかない。倍かかったとして200分ということは3時間20分、到着は午後9時半か・・・友人に「遅くなった場合に備え反射テープを持って行ったら?」と言われたことを思い出す。

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 ここからの旧街道(羽州街道)は道幅が狭く、歩道は側溝幅しかなく歩きに上に、街灯もないので後ろから来る車のライトを頼りに歩くしかない。それでも歩を止めるわけにはいかず、ひたすら歩き続ける。真っ暗闇の中、狭い歩道をずんずん進む。頭にあるのは、奥羽本線の跨線橋であそこまで行ければ天童の町の明かりが見えてくるはずで、とにかくひたすら歩く。
ときどき仲間から届く激励メールが唯一、萎える気持ちを奮い立たせてくれる。足裏の肉刺(マメ)もだんだん痛みが増してきた。そうこうして歩いていると歩道の高さが少しずつ増してきて跨線橋らしき雰囲気になってきて、電車が通る音も聞こえて来た。やっと天童のまちの灯りが見えてきた。涙が出そうになるのを堪え、重い足を引きずりながらやっとのことで跨線橋を超えた。

 そして午後8時20分天童セントラルホテル到着、距離にして55km、時間にして11時間40分、昼休みの1時間30分を差し引くと、10時間10分も歩いたことになる。10kmあたり2時間費やしたことになるが、肉体的にはなんら問題はなく至って元気である。
色摩さんに到着の連絡をしてチェックイン、とりあえず汗を流し着替えると玄関で待ってくれている色摩さんと合流、何と奥さんと義理のお母さんも来てくれた。色摩さんの車で少し離れた居酒屋に午後9時ごろ入る。イザベラ・バードの話などで盛り上がり、店を出たのは10時半を回っていた。
ゆっくり風呂に入り、疲れを癒す。励ましてくれた友人達に連絡して、ベッドに入ったのは午前零時を回っていた。

2015年06月04日

山形新聞2015/05/30

山形新聞の論説・解説「土曜コラム マルチアングル」に、元気・まちネット代表・矢口の「イザベラバードの山形路」踏破が紹介されました。
2015年05月22日

20150613-14イザベラ・バードの山形路 in もがみ・勉強会

6月13日(土)〜14日(日)「イザベラ・バードの山形路 in もがみ・勉強会」を開催します。

イザベラ・バードの山形路も残すところ、最上地方だけとなりました。
彼女は立派な道路を進み、土生田(とちうだ)と尾花沢から鳥海山の素晴らしい姿を眺め、最上川の支流の木橋を超え、猿羽根峠を登ります。この峠からの景色はとても雄大で、松や杉、楢の並木道を通って新庄を抜け、風変わりな盆地に入りました。ピラミッド形の丘陵が半円を描いていて、その山の麓にはロマンチックな雰囲気の金山の町がありました。
新緑に染まる猿羽根峠(さばねとうげ)や上台峠(うわだいとうげ)は、どちらも2km位で、どなたでも楽しく歩けます。ご一緒しませんか?

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日 時 2015年6月13日(土)〜14日(日)

費 用 ¥1,000−(勉強会の資料代のみ、但し現地までの交通費、宿泊、飲食費、資料館・温泉などの入場(浴)券は個人負担となります)

〆 切 5月30日(土)

定 員 15名(但し、定員になり次第締め切ります)

申 込 @住所、A氏名、B年齢、C性別、D連絡先(携帯電話番号など)を明記して、NPO法人元気・まちネット(担当:矢口)までお申し込みください。
     メール:genki-kuma@mc.point.ne.jp
     FAX:03−3711−1403

その他
★宿泊希望の方は予約がありますのでお早目にご連絡下さい。(一泊二食¥8,000-/税別)
★部屋は原則男女別の相部屋となりますが、同室希望の方はお早目にご連絡下さい。
★ちょうどこのころから“さくらんぼ狩り”が始まります。 

スケジュール予定 
【6/13(土)初日】10:00 奥羽線「芦沢駅」改札口集合予定 
芦沢駅から約2kmの猿羽峠道を徒歩で上ります。昼食後、国宝“縄文の女神”を見学、そして雄大な景色を眺めながら若あゆ温泉で汗を流し、駅に戻り初日は解散。宿泊希望の参加者はそのまま宿へ・・・湯舟沢温泉(電話:0237-58-2439)

【6/14(日)2日目】10:00 新庄駅集合 
上台峠までバスで移動、上台峠約2kmを辿ります。役場のバスで町まで移動して昼食(朗読会有)。食後ロマンチックな金山町を案内して貰います。その後バスで新庄駅に移動して解散。
2015年01月07日

報告:2014/12/06 元気・まちネット自主公開講座-日本奥地紀行-イザベラ・バードの山形路(200km)

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12/6(土)自主公開講座が専修大学大学院で実施された。

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イザベラ・バード(以下バード)が没して今年で110年、自主公開講座は「日本奥地紀行―イザベラ・バードの山形路200km―」と題して、2007年の踏査・検証から始まり、この7年間、東京(1回)と山形(4回)でシンポジウムの開催、旅企画6回を実施してバードの追体験を通して山形の魅力(風景、歴史・文化、食など)を伝えて来た。そして、当初からの念願であった200kmを広域連携した形でのルートマップを2013年度に完成することが出来た。

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明治初期の日本(人)の自然・風土、宗教感、考え方や暮らしぶりが、イギリス人のバードにはどう映ったのか、この7年間の締めくくりとして、もう一度「バードの山形路」を見つめなおし、来年以降更なる「歩く旅」の魅力を伝えたく、自主公開講座を開催した。

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【第一部:基調講演】
2009年、山形路200kmを1泊2日の強行日程の旅企画に参加して頂き、今日まで陰ながらアドバイスを送り続けて頂いた福田徳郎さんをお招きした。

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福田さんとは2008年11月、毎日旅行社が企画した「イザベラ・バード日本上陸130周年記念、第一回/横濱海岸通りと外人居留地跡を歩く」に佐野理事と参加した際に知り合った。バードが奥地紀行に出発するまで横浜や東京で誰に会ってどのように日々を過ごしたのかを3回シリーズで案内してくれるというもので、古道紀行エッセイストの金沢正脩氏が案内役を務めてくれた。

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基調講演の内容は後日、テープ興しをして詳しく述べるが、バードが来日した目的(エージェント=諜報員)やその背景を、その時代考証から面白く解説してくれた。また、山形路(特に小国13峠)のブナ林や当時の石畳を掘り起している地元のNPO法人へ旅人自らが感謝しながらも、エリアトラスト運動の必要性を説いて頂いた。

【第二部:朗読会】
山形路200kmの踏査・検証や旅企画を通して山形の自然風景、建造物、食、宿、出会った人々の交流をパワーポイントで紹介、「日本奥地紀行」の中でもハイライト部分にあたる小国13峠、赤湯から上山・山形、猿羽根峠、金山町(上台峠)の舞台を佐野理事の爽やかな語り口で紹介した。

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佐野理事は元気・まちネットの2006年の創設時からのメンバーで、プロフィールにも示す通り、山形路1,000km(源義経「北国落ち」150km、松尾芭蕉「おくの細道」200km、イザベラ・バード「山形路」200km、清河八郎「回天の道」150km、清河八郎「西遊草の道」250km)を踏査・検証、山形県人よりも山形の歴史を「歩く旅」を通して精通していること、またNHK朗読講座上級卒業という輝かしい実績を持ち合わせ、本日の自主公開講座に朗読を通して華を添えて頂いた。

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【第三部:フリートーク】
自主公開講座を聴講して頂いた参加者からは、「何故、バードが来日したのか、その目的とは?」、「何故、イギリス人はアイヌの墓を荒らしたのか?」、「13峠を歩きながら、エージェントのことなど忘れて楽しむことが出来た」、「人生とは邂逅である」などなど、新しい発見や面白いお話を聞くことが出来た。後日テープ興しをしてHPから発信したいと考えています。

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★毎回、会場のみならずスクリーン、プロジェクターなどを無料提供して頂いている専修大学(大林守商学部教授)には、改めてお礼申し上げます。


【参加者からの感想】

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今日はお疲れ様でした。
矢口さんのご紹介で来ました。公開講座の感想ですが、皆さんのお話で、山形ってこんなに自然豊かなところだなあと感じました。心地よく朗読を聴いていたら日本にいる間に一度行ってみたいです。
【曹くん・千葉大留学生】

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lli06.gif5年前、福田先生にご案内して頂いた「横浜に上陸したバードを追って」に参加し初めてイザベラバードの「日本奥地紀行」のことを知りました。
当時の日本の実情を考えると彼女の意思と実行力に驚くと同時に興味を持ちました。
今回の公開講座「バードの山形路」を受講して、彼女の本当の目的は、コースの設定にはどんな意味があったのだろうか、欧州人の見た当時の風習・庶民の暮らし等々益々興味が湧いて来ます。
4年前、萱野峠、黒沢峠を歩き、置賜平野の集居村を遠望してアジアのアルカディアと感嘆した場所を訪ねた時を思い出し懐かしく、豊かな自然と、歴史に触れながら、また是非訪れてみたいと強く感じました。
【古往今来の会・村上昌造 様】

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lli06.gif先日はとても楽しい時間でした。
今回も勉強不足で発言を求められた際はしどろもどろ…。
バードについて同じ資料から感じること、想像することが皆それぞれでどの推察も正解であり得るというのが興味深く、一層魅力的な人物に思えてきました。
懇親会で福田先生に「幅広い知識はどのように身に付けたのですか?」と尋ねた所、「このようなお酒の場で知り合う多くの人との会話から…」とお答え頂きました。
それなら私にも出来るかな〜と(笑)、これからも周囲の人々から多くのものを吸収していきたいです。
【神奈川県、鈴木綾子さま】

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lli06.gif昨年4月に山形県南陽市を訪問するまで、名前さえ知らなかったイザベラ・バードですが、知れば知るほど奥が深く、ますますハマりそうな予感がします。IB倶楽部の皆さんの、熱気と探求心があふれるくらい伝わる公開講座でした。
次回は歩いてみたいです。
【川口市・大竹敦子さま】

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lli06.gifツインタイムトラベルとは「過去の旅行記に描かれた旅の時空と自らの時空を主体的に重ね合わせる」新しい旅の形をいうらしい。一昨年、山形のある町のマーケティングアドバイザーを一緒に担った友人が大胆にもそれを実行した。新潟県関川村から山形県小松村までの越後米沢街道にある13の峠をまとめて歩くツアーを出掛けたようだ。彼に誘われて今回の公開講座に参加し、その13の峠の行程の詳細を学べ、朗読と共にバードになった心地!になり、ハイジアパーク南陽に飾られていた彼女の写真が脳裏に蘇った。アドベンチャラスな意志の強い女性、そしてイギリス政府のエージェントでもあったというミステリアスなところも大変興味深い。金山町のハーブを効かせて焼いた鶏肉が戴ける「イザベラバード御膳」も是非食してみたいなぁ。
【市川市・中村昌子さま】

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lli06.gifバードには翼がないが冒険心と探究心がある。著したものは主観でありながら異国人からみた客観でもある。利益や名声を意識していないので、それは自然体の表現ともいえる。日本の風俗・文化・自然に対するバードの賞賛に小躍りしたり、誤解を含む観察・論評に反論する必要はなかろう。ただ130年以上経ても色褪せることのないひとりの女性、ひとりの人間の生き様に何かを感じれば良いと思う。
今年は越後米沢街道を歩き、今回の公開講座でバードの新たな一面を知ると共に朗読で当時の雰囲気に浸ることも出来た。2015年も時空を越えたバードとの交わりがあることを願っている。
【市川市・中村隆俊 様】




「はまり込む謎の人イザベラ・バード」

調べればどんどんと深みへはまり込む〜〜イザベラの生涯は旅に明け暮れたというが、快適を選ばず、むしろ苛酷な旅を運命のように思って実践したのは、父母が属し、神父を務めた英国国教教会への報告と王立スコットランド地理学協会への推挙という高い峰を目指していたのだろうか。
ヴィクトリア朝の婦人探検家(レディストラベラー)はバードを含め14名。
ヒマラヤ登山を始め、世界各地の探検や調査旅行の目的は地理学会会員に推挙されるのもさることながら「婦人参政権」の獲得が大きな目標だった。
 バードの「日本の未踏の地」(日本奥地紀行)が刊行後、偶然なのか英国の婦人は参政権を獲得し投票権を得たのだった。
 こまごまと調べて行くと、日本奥地旅行も到着の1年前から東京で活躍のパークス公使夫妻によるバードの内地旅行の特別査証や、北海道の開拓使
黒田清輝の指示によるアイヌ調査のサービスぶりも腑に落ちる。
バードの旅のハイライトはなんといっても日光から新潟、そして新潟で北海道への船便が無く、やむを得ず、地図上白紙だった山形県縦断200キロ
の徒歩旅の日々が読む者をわくわくさせる記述に満ちている。
 旅するバードを眺めていた日本側の記録が山形の旧家の土蔵からでも出てこないかというのが私の大きな期待の一つだ。
バードの行く先々には、連日黒山の人だかりが出来、噂は10里を走ったに違いない。
されば地元の庄屋さんや、寺子屋の師匠や、坊さんが日記にバードの挙措を誌しているのを大いに期待しているのだ。
福田 徳郎
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2014年10月30日

山形新聞2014/09/29

image_kyokucho2s.gifイザベラ・バードが明治11年(1878年)に来日、日本の奥地(日光以北)を旅して著したのが「日本奥地紀行」でした。元気・まちネットがバードの山形路(200km)を踏査・検証し、7年かけてバードのルートマップをこの3月に完成させました。またJR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」8月号には「日本奥地紀行」が特集されました。
偶然とは言え嬉しい限りです。

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ノンフィクション作家藤原作弥氏は9月25日(木)付け山形新聞「直言」にイザベラ・バードを取り上げていました。この記事に「私の主張」として投稿したところ9月29日(月)山形新聞に掲載されましたのでご覧になって頂ければ幸いです。

2014年10月06日

12月6日(土)「元気・まちネット自主公開講座:日本奥地紀行―イザベラ・バードの山形路(200km)」を開催します!

―自主公開講座:日本奥地紀行―
イザベラ・バードの山形路(200km)
(イザベラ・バード没後110年記念)

たいそう暑かったが、快い夏の日であった。
会津の雪の連峰も、日光に輝いていると、冷たくは見えなかった。米沢平野は、南に繁栄する米沢平野というより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である。           ―イザベラ・バード著『日本奥地紀行』/高梨健吉訳著より抜粋―

【公開講座概要】
期   日:2014年12月06日(土)
時   間:13:30〜16:40 (受付13:00〜13:30)
場   所:専修大学大学院神田校舎7号館7階771
費   用:¥500-(資料代、会員は無料)
定   員:30名
申   込:2014年11月1日(土)〜12月3日(水)
申込方法:メールまたはFaxに、
       @住所、A氏名、B連絡先(電話番号)、Cメールアドレス
       を記入の上、お申込み下さい。(担当:矢口)
        メール: genki-kuma@mc.point.ne.jp
        F a x: 03-3711-1403
主   催:NPO法人元気・まちネット


【公開講座内容】
・13:00〜13:30
 受 付
・13:30〜13:40
 挨 拶:大林 守(NPO法人元気・まちネットアドバイザー/専修大学商学部教授・国際交流センター長)
・13:40〜14:40
 基調講演:「バードを追いかけ山形路」
・14:40〜15:35
 イザベラ・バードの山形路200km/朗読会
 矢口 正武(NPO法人元気・まちネット代表理事)/朗読:佐野 千晶)
―トイレ休憩5分―
・15:40〜16:40
 フリートーク(参加者・主催者)
・17:00〜20:00
 懇親会(希望者のみ,費用は¥3,000-程度を予定しています。)
2014年03月06日

山形新聞2014/02/22 土曜コラム マルチアングル

2/15(土)に山形市の遊学館で開催された「イザベラ・バード」シンポジウムin山形は、近年にない大雪にもかかわらず大勢の方にご参加いただき、盛況に終わりました。一方、東京組は朝一番で出発したものの、東京駅で2時間の足どめ、ようやく動いた新幹線は途中の福島駅でストップ。仙台に廻り在来線、バス、タクシーと各種交通手段でアプローチを試みたものの、結局到着できず大変残念な思いをしました。シンポジウムの報告は、「アルカディア街道I・B倶楽部」のHPで紹介しています。

山形新聞の土曜コラム:マルチアングルで、シンポジウムの模様とともにイザベラ・バードのことが紹介されました。
初めて踏査したのは2007年。当初から念願だったバードの道のマップも間もなく完成、本当に嬉しい限りです。
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2013年06月20日

毎日新聞2013/06/19

イザベラ・バードの旅行記『Unbeaten Tracks in Japan』の完訳、『完訳 日本奥地紀行』(平凡社/全4巻)の紹介記事が毎日新聞に掲載されました。
2013年06月06日

2013/06/01 アルカディア街道I・B倶楽部イベント報告

image_kyokucho2s.gif今回のイベント「イザベラ・バードの足跡を辿る Part1〜山形市内〜」には43名という多くの参加があった。
(内容は新聞記事をご参照)
 
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バード女史が東北・北海道の旅をしてその土地の風景、食、慣習、病気などなど外国人の立場から鋭い観察の記録を遺した。
旅した時期はちょうど梅雨の季節で、それはそれは困難な旅を強いられたが、小国13峠を越える頃には雨も上がり、金山を過ぎるまで快適な旅をすることが出来た。
山形を”東洋のアルカディア(桃源郷)”とか”エデンの園”など、シャイな山形県人であれば歯の浮くようなほどまでヨイショしてくれた。

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私たちはいい意味に於いてこの”ヨイショ”してくれたことをもっともっと”誇り”にし、次世代に繋いでいく義務があると思っている。
ふるさとを離れてかれこれ40数年、自由に全国を遊び歩いた私も近年、ふるさとの風景のすばらしさや人の優しさは”本物”だと強く思うようになった。

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2007年からバード女史が辿った山形路約200kmを山形新聞社(伊藤記者、色摩カメラマン)さんの同行取材を受け踏査・顕彰する事が出来た。
その後東京(1回)や山形(4回)でシンポジウムを開催、歩く旅も数回実施した。その旅に参加してくれた渋谷さんが学生時代に読んだ「日本奥地紀行」に火がつき、2011年「イザベラ・バードの山形路ーアルカディア街道散策のススメー」が出版された。

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2011年5月その思いが通じ、錦会長、渋谷副会長始め、大沼さん、結城さんなど山形に在住する皆さんを中心に「アルカディア街道I・B倶楽部」が結成された。
そして2011年6月、アルカディア街道I・B倶楽部ー第一回研究会の旅、8月に第二回研究回の旅が実施された。
こうしてI・B倶楽部の活動は着実に山形に定着しつつある。

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今後は多くの人に”東洋のアルカディア”を知って頂くためにも外国語、もちろん日本語でも解説された山形路全行程のマップを作成することが重要と考えている。
そのためにも今後のI・B倶楽部の活動に期待したい。

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タグ:活動記録
2013年06月02日

山形新聞2013/06/02 古きを訪ね再発見 バードの足跡たどる 山形でイベント、県内外から参加者

6月1日(土)に開催された「イザベラ・バードの足跡を辿る Part1〜山形市内〜」にご参加の皆さま、お疲れ様でした&ありがとうございました。

好天にも恵まれ、40名を超す皆さまにご参加いただいた当日の模様が、6月2日の山形新聞に掲載されました。

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レポート
をアップしました。

 
2013年05月20日

山形新聞2013/05/19

6月1日(土)に山形市で開催される「イザベラ・バードの足跡を辿る Part1〜山形市内〜」参加者募集の告知記事が、5/19(土)の山形新聞に掲載されました。主催はアルカディア街道I・B倶楽部。元気・まちネットも協力しています。
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2013年05月06日

2013/06/01(土)開催「イザベラ・バードの足跡を辿る Part1〜山形市内〜」

「元気・まちネット」では、イザベラ・バードに関する活動を通じて山形の魅力を再発見し、みんなで元気なふるさとを創ることを目的に活動している「アルカディア街道I・B倶楽部」と協力して、6月1日(土)に山形市内で「イザベラ・バードの足跡を辿る」と題し、「座学」&「まちなか散策」の研修会を開催します。昼食は大正ロマンの香り漂う料亭千歳館で。皆さまどうぞご参加ください。
【概 要】
・日  時:2013年6月1日(土) 10:00〜15:00
・会  場:
  研修会:遊学館研修室3階(山形市緑町1−2−36)
  見学会:山形市内(遊学館〜緑町〜旅篭町〜七日町〜霞城町〜山形駅)
・会  費:¥2,500−(昼食代¥2,000円、会場費等)
・定  員:30名(定員になり次第締め切ります)
・申込み:以下@〜Cを明記して、アルカディア街道I・B倶楽部:大沼まで、メールまたはFaxでお申し込みください。
   @住所 A氏名 B年齢 C連絡先(携帯電話番号、メールアドレス)
≪申し込み先≫ 担当:大沼
メール : chery39jp@yahoo.co.jp
F A X : 0237−87−1617

【研修会内容】
10:00〜10:05 ごあいさつ
10:05〜10:40 研 修(1)
              “イザベラ・バードと山形” 
              アルカディア街道I・B倶楽部 会長 錦 啓
                       (元山形県立博物館館長)

10:45〜11:15 研 修(2)
              “イザベラ・バードが訪れた明治初期の山形市” 
              アルカディア街道I・B倶楽部 副会長 渋谷光夫
                     (前山形大学教職大学院客員教授)

11:25〜12:30 研 修(3)
              遊学館〜三島神社〜旧千歳園(東高)〜文翔館〜
              市役所前〜料亭千歳館
12:30〜13:30 昼  食  
              料亭千歳館<料亭文化を楽しむ/大正建築>
              朗読と講演:“アルカディア街道を繋ごう”
                      NPO法人元気・まちネット
13:30〜15:00 研 修(4) 
              料亭千歳館〜七日町〜御殿堰〜現済生館〜
              旧済生館〜霞城セントラル〜山形駅(解散)徒歩約4km

タグ:啓発活動
2012年08月27日

広報かねやま2012/08:"イザベラ・バード"シンポジウム in 金山2012

7/14~15に山形県金山町にて開催されました『 "イザベラ・バード"シンポジウムin金山2012』が、金山町の「広報かねやま」2012年8月号に掲載されました。
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pdficon_large.gif広報かねやま 2012/08 "イザベラ・バード"シンポジウムin金山2012


なお、シンポジウムのレポートは、こちらをご覧ください。

lli06.gif金山シンポジウムの報告(その1)

lli06.gif金山シンポジウムの報告(その2)

lli06.gif金山シンポジウムの報告(その3)

lli06.gif山形新聞2012/07/15
2012年07月20日

金山シンポジウムの報告(その3)

6:00窓ガラスを叩く強い雨音で目を覚ます。ああ〜折角の散策も・・・
7:00朝食、温泉に入り夕べのアルコールを抜きながら、そして天気の回復を期待しつつ汗を流す。  
 
【7/15(日):バードの足跡を訪ねる】 
9:00ホテル出発、9:30役場に到着、この雨にもかかわらず参加者は何と30名。
上台峠に差し掛かる頃は雨も小やみに・・・約1.0kmの羽州街道を散策、地元の方のご厚意でヤブはすっかり綺麗に刈り取られていた。感謝!
イザベラ・バードはこの峠から金山を「ロマンチックな町」と賞賛したのだ。このフレーズを金山町の街並み景観づくり100年構想に取り入れた町民の文化の高さには正直言って驚かされる。池内先生が惚れる理由も解ったような気がした。

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バスで移動して街なかを散歩する。昨日パネラーをしてくれた阿部さんが落ち着いた佇まいに彩られた街なかをゆっくり解りやすく解説してくれた。
途中、夕べ交流会を催した「蔵し館」で地元スタッフが抹茶とおまんじゅうでもてなしてくれた。嬉しいじゃありませんか。
郵便局を改装したり、蔵を改装したりして町民だけでなく旅行者も利用出来る空間があるということはなんと贅沢なことでしょう・・・もう一軒、交流館に向けた改修作業が行われていた。
お抹茶タイムですっかり時間を潰してしまったが、急いでバスに乗り移動、お寺の境内に植えられた320年を越える幹周り6m超のイチョウを見て、森合峠を急いで駆け上がりバードの足跡を辿る散策を無事終えた。 

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何と言っても「イザベラ・バードランチ」でこのイベントを〆たいと思う。
見よこのご馳走、イザベラ・バードもこの奥地紀行で初めて口にした”鶏肉料理”である。
ランチというより”イザベラ・バード御膳”と名前を変更しよう。

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素晴らしいイベントはこうして終えることが出来た。須賀さんを初めとした町民の方々に改めて感謝を申し上げたい。
 
2012年07月18日

金山シンポジウムの報告(その2)

 夕べの雨も上がりシンポジウムは問題なく出来そうだ。
温泉に入り夕べ体内にしこたま取り込んだアルコールを全て流す。  

【7/14(土):シンポジウム当日】 
7:00朝食、パネラーのSさん、S嬢(女史)もちょっと緊張気味?・・・(笑)
10:00ホテルの車で会場(町民ホール)入り、応接室でパネラーが自己紹介しながら今日のディスカッションについて軽く打ち合わせをする。クマジィも最初の時は大いに緊張したがいつの間にか本来の図々しさが戻ってきて今では楽しくってしようがない。こんな時は地のままで行くと”腹をくくる”しかないのだ。

会場の受付は参加者でごった返している。思ったよりいい出足だ。
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町職員Sさんの挨拶でいよいよシンポジウムは開幕した。
鈴木町長挨拶の前にいきなり開会挨拶のご指名が入る。聞いてないよ!
町長の「街並み景観づくり100年構想」の話は実に素晴らしい取り組みと感じ入った次第である。
何せ行政で100年の長期に渡ったまちづくりを行うなど考えられない。
首長替われば施策は変わるのは当たり前の話であって、大切な税金の使い道など考えてない行政の何と多いことか。  

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13:00いよいよ今日のメインゲスト池内紀(おさむ)氏の基調講演である。
著書「何故かいい町、一泊旅行」を手に取ったときから今日の出番は先生しかないと心に決めて失礼を顧みず口説き落としたのだ。「日本の町 ドイツの町」と題して”木組みのまち”というところに焦点をあててユーモアを交えながら90分間、楽しくも含蓄のある話をしてくれた。「金山の町 ドイツの町」でも良かったのではないかと思うぐらい金山町にとってはいい話であったように思えた。 

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10分間の休憩ののちパネルディスカッションが始まった。
コーディネーターは図々しくも不肖クマジィが受け持ち、パネラーは「”イザベラ・バードの山形路”を著した渋谷光夫山形大学教授でアルカディア街道I・B倶楽部副会長」、「”蔵の会”でおもてなしを続け、街の案内役も務める地元の阿部一代氏」、「”バードが愛した金山の町”をリポートし、スローフードを提唱するライターの朝倉かおり氏」、「山形の歴史街道800kmを踏査・検証、今や山形の歴史を知り尽くした感のある佐野千晶氏」の5名が会場の参加者と掛け合いをしながら90分楽しくお喋りすることが出来た。・・・と思っているのだが??・・・

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「蔵し館」に場所を移して17:30から19:00まで、50名を越える参加者の交流会が行われた。
シンポジウム参加者140名、交流会参加者50名という何とも盛大なシンポジウム初日だった。
19:00終了ではまだまだ飲み足らない参加者は友人の奥さんが経営する”一福や”で夜の更けるまで飲み明かしたことは言うまでもない。

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金山シンポジウムの報告(その1)

 「"イザベラ・バード"シンポジウムin金山2012」も無事終了した。  
 
【7/13(金):事前準備】  
関係者との打ち合わせもあり前日(13/金)に金山入りする。

午後12:30山形新幹線「つばさ」で新庄駅到着、昼食を食べ珈琲を飲みながら迎えの車を待つ。
ちょうどシンポジウムに参加してくれる方と一緒になり途中までホテルの車で送って貰い、バードが越えた上台(うわだい)峠入り口で下ろして貰う。
地元の皆さんが下草刈りをしてくれ”バードの足跡”のコース下見を兼ねて約1.0kmを歩く。 

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八幡神社はちょうどその日お祭りが予定されていて天気であればかなりの賑わいを体験できそうだ。
八幡神社からバイパスに戻り、橋を渡り坂を越えたところから小川のせせらぎの音を聴きながら砂利道を金山町役場までの距離約6kmを歩いた。せせらぎ、風の音、鳥や蛙の啼き声などを耳にしながら歩くのはいいもんだ。

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午後4時30分、金山町役場到着。
二階ではシンポジウム担当の町職員のSさんが会場づくりに余念がない。素晴らしい会場に仕上がっている。
席は100名用意されているというが今日までの参加者は85名、雨でも晴れでも当日になって見なければ参加者の動向は把握出来ない。明日はどうなっているのだろうか。 

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町職員のSさんと細かな打ち合わせを行い宿舎になっている「シェーネスハイム神室」に送って貰う。
町営スキー場でこんなにも景観にマッチしたホテルを持っているところは他に見あたらないだろう、そのぐらい素晴らしいウッディな造りのホテルである。
部屋に入るとパネラーの一人Sさんが明日話す資料づくりに懸命になっている。「S先生、そんな多く語る時間などないですよ」と牽制する。

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タオルを持ってホテル内の温泉につかり、今日の疲れを癒す。外の風景は濃い緑に変わりつつある。
午後6:30ここのスキー場をホームゲレンデにしている友人のS君が美人の奥さん運転で迎えに来てくれた。
これから町に出て、1月スキーに来たとき気に入った”磯舟”という居酒屋で前祝いをやるつもり・・・

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2012年07月17日

山形新聞2012/07/15:イザベラ・バード愛した金山 街並み景観 後世に シンポで意義再確認

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「"イザベラ・バード"シンポジウムin金山2012」が7月14日(土)~15日(日)の二日間、山形県金山町にて開催されました。
定員100名のところ県内外より140名もの皆さんにご参加いただきました。心よりお礼申し上げます。

詳細は近々にご報告いたしますが、7/15の山形新聞に紹介されましたのでご覧ください。

pdficon_large.gif山形新聞2012年7月15日
イザベラ・バード愛した金山 街並み景観 後世に シンポで意義再確認