2015年02月26日

山形新聞2015/02/18

HPづくりや東京からの情報発信でお手伝いしている、映画「いしゃ先生」の冬ロケの取材に行って来ました。元気・まちネットの山形会員の高橋茂さんが、その時の様子を山形新聞「私の主張」に投稿、2月18日の山形新聞に掲載されました。

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2015年01月11日

山形新聞2014/10/09

山形県西川町が生んだ「女医・志田周子(ちかこ)」。へき地医療に生涯を捧げたいしゃ先生の一生を、あべ美佳さんの脚本で映画化される運びとなりました。

元気・まちネットは、縁あって「志田周子を銀幕に蘇らせる会」のHPを作成、全国に情報を発信するお手伝いのミッションを頂きました。

『人生で初めて映画のオーディションを見学させて頂いた。』という代表:矢口の想いが、山形新聞に掲載されました。

2013年06月24日

2013/06/02 志田周子のふる里を訪ねて・・・

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 新緑の風薫る5月、女医・志田周子のふるさとを訪ねてみた。
 
同行者は志田周子のホームページを制作してくれた元気・まちネット理事の佐野さん、同じく山形で唯一のまちネット会員の高橋さん(戸沢村/清河八郎を学び語る会会長)の3人、山形市内のホテルを9:00過ぎに出発した。

昨日(1日/土)と同じように快晴に恵まれ、鼻歌気分で西川町を目指す。
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道の駅でイベントを催しているということを聞きつけ、生涯学習課の志田さん、政策推進課の後藤さんあたりに会えれば思ったのだが、それらしい人影は見あたらない。
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駐車場に設置されたテントでは鮎の塩焼きや野菜などの販売など、中でも採れたて山菜品評会で優秀な成績を上げた月山タケノコやミズ、シオデなどの競り売りが面白くしばらく立ち止まって見学した。
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車は大井沢に入り、新緑に彩られた風景に目を奪われながらずんずん進む。
もっとも賑やかな?まち中に入り、まずは廃校となった小学校正門脇に建つ志田周子の記念碑を見る。
廃校になったのが信じられないほど綺麗な校舎にちょっとビックリ、これも時代のなせるもので少子高齢化の波は止むことを知らない。
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寒河江川にかかる吊り橋を見つけ、車を降りて近づくと緑に囲まれた吊り橋が清い流れと渾然一体となり、都会人の心を和ませてくれる。
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志田周子が診療所として使っていた建物をカメラに収め、市内に住む友人に聞いておいた蕎麦やに入り昼食をとる。
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蕎麦の旨さは言わずもがで、野菜の天ぷらはカリカリと揚がっていて天ぷらの旨さにもビックリ!!
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蕎麦やラーメンに関してはそれぞれの好みがあるので多くを語らないが、タダ一言”俺の好みにピッタリの味だった”とだけ言っておこう。

車中からは月山の雄大な姿がかいま見え、車を止めてはカメラのシャッターを切った。
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今は道路事情のみならず、情報も瞬時に送受信することも、ドクターヘリも飛ぶような時代になり、遠くの雪深いところに住んでいても心配するようなことは少なくなったが、当時は”鳥も通わぬ”とまではいかないにしても並大抵のことでなかったろうと女医・志田周子に思いを馳せる。
 
いまこうして「女医・志田周子を銀幕に蘇らせる会」の末席に名前を連ねさせて頂けることになった背景には、西川町職員の後藤さんとの出会いがあった。
確か2010年10月「とうほく街道会議第6回交流会/出羽の古道六十里越街道大会」が行われた弓張平公園にある会場だった。
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奇しくも1992年(平成4年)弓張平公園基本設計見直しとオートキャンプ場実施設計を当社が設計を担当した思い出深い場所だった。
また月山には蔵王スキー場が閉鎖されると毎年のように月山スキー場で春・夏スキーを8月下旬まで飽きることなく楽しむ場所でもあり、何かとDr,志田周子とは不思議な縁で繋がっていたのである。
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大井沢から弓張平公園、志津温泉の五色沼を見学してふる里を訪ねる旅を終えた。
タグ:活動報告

2012年11月26日

山形新聞2012/11/23:西川 志田周子映画化へ動き加速 制作母体設立目指す HP開設 全国から賛同募る

西川町(山形県の旧大井沢村)に”地域医療に一生を捧げた女医”がいました。

その名は「志田周子(ちかこ)」。

元気・まちネットでは、 志田周子の生き方に惹かれ、映画化への応援を買って出ることになり、まずは、志田周子医師の存在と映画化へむけての動きを発信すべくホームページを作成しました。

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志田周子は、東京女子医大を卒業して医師免許を取得すると東京で医師として働き始めていましたが、当時大井沢村村長をしていた父荘次郎に呼び戻され、無医村だった大井沢村の医師として24歳の若さで赴任しました。

冬には3mにもなる深い雪に閉ざされる大井沢の地域医療に一生を捧げた医師:志田周子の功績を後世に伝え語り継ごうと、生誕100周年(2010年)を記念して地元が動き出しました。


11/23の山形新聞で、映画化にむけて「志田周子の生涯を銀幕に甦らせる会」(仮称)の設立を目指し、会員の募集開始とホームページが開設されたことが紹介されました。

西川 志田周子映画化へ動き加速
制作母体設立目指す
HP開設 全国から賛同募る


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一日でも早く映画化に踏み切れるよう、東京から全国に志田周子を情報発信していきたいと思っています。