
新緑の風薫る5月、女医・志田周子のふるさとを訪ねてみた。
同行者は志田周子のホームページを制作してくれた元気・まちネット理事の佐野さん、同じく山形で唯一のまちネット会員の高橋さん(戸沢村/清河八郎を学び語る会会長)の3人、山形市内のホテルを9:00過ぎに出発した。
昨日(1日/土)と同じように快晴に恵まれ、鼻歌気分で西川町を目指す。
道の駅でイベントを催しているということを聞きつけ、生涯学習課の志田さん、政策推進課の後藤さんあたりに会えれば思ったのだが、それらしい人影は見あたらない。
駐車場に設置されたテントでは鮎の塩焼きや野菜などの販売など、中でも採れたて山菜品評会で優秀な成績を上げた月山タケノコやミズ、シオデなどの競り売りが面白くしばらく立ち止まって見学した。
車は大井沢に入り、新緑に彩られた風景に目を奪われながらずんずん進む。
もっとも賑やかな?まち中に入り、まずは廃校となった小学校正門脇に建つ志田周子の記念碑を見る。
廃校になったのが信じられないほど綺麗な校舎にちょっとビックリ、これも時代のなせるもので少子高齢化の波は止むことを知らない。
志田周子が診療所として使っていた建物をカメラに収め、市内に住む友人に聞いておいた蕎麦やに入り昼食をとる。
蕎麦の旨さは言わずもがで、野菜の天ぷらはカリカリと揚がっていて天ぷらの旨さにもビックリ!!

車中からは月山の雄大な姿がかいま見え、車を止めてはカメラのシャッターを切った。

いまこうして「女医・志田周子を銀幕に蘇らせる会」の末席に名前を連ねさせて頂けることになった背景には、西川町職員の後藤さんとの出会いがあった。
確か2010年10月「とうほく街道会議第6回交流会/出羽の古道六十里越街道大会」が行われた弓張平公園にある会場だった。
奇しくも1992年(平成4年)弓張平公園基本設計見直しとオートキャンプ場実施設計を当社が設計を担当した思い出深い場所だった。
また月山には蔵王スキー場が閉鎖されると毎年のように月山スキー場で春・夏スキーを8月下旬まで飽きることなく楽しむ場所でもあり、何かとDr,志田周子とは不思議な縁で繋がっていたのである。
大井沢から弓張平公園、志津温泉の五色沼を見学してふる里を訪ねる旅を終えた。
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