その名は「志田周子(ちかこ)」。
元気・まちネットでは、 志田周子の生き方に惹かれ、映画化への応援を買って出ることになり、まずは、志田周子医師の存在と映画化へむけての動きを発信すべくホームページを作成しました。
志田周子は、東京女子医大を卒業して医師免許を取得すると東京で医師として働き始めていましたが、当時大井沢村村長をしていた父荘次郎に呼び戻され、無医村だった大井沢村の医師として24歳の若さで赴任しました。
冬には3mにもなる深い雪に閉ざされる大井沢の地域医療に一生を捧げた医師:志田周子の功績を後世に伝え語り継ごうと、生誕100周年(2010年)を記念して地元が動き出しました。
11/23の山形新聞で、映画化にむけて「志田周子の生涯を銀幕に甦らせる会」(仮称)の設立を目指し、会員の募集開始とホームページが開設されたことが紹介されました。
一日でも早く映画化に踏み切れるよう、東京から全国に志田周子を情報発信していきたいと思っています。