清河八郎は向学心に燃えて江戸へ向かうため生家の清川を出奔したのは今から164年前、18歳のときだった。
(藤沢周平著「回天の門」を参照)
私たちは回天の道と名付け清川から上山楢下宿、金山峠まで約150kmを踏査・検証して「文学散歩の旅」を広域連携した企画を打ち立てた。春には山伏峠を歩き、六十里越街道は来年に持ち越したが、ステージ4を前倒しして実施した。

【9月29日(土)初日:山形から上山へ】
10:00元県庁だった文翔館を見学して歩き旅はスタートした。
台風の接近で雨が心配されたがどうしてどうして「晴れ男」は健在だった。
七日町通りは旧羽州街道で、現在では蔵を改造したレストランやお土産さんなどが並んでいる。
ちょっと前は今より4倍ほど蔵屋敷が並んでいたらしいが今では数えるくらいしか残っていない。

御殿堰、西村写真館、紅の蔵などを「山形歴史たてもの研究会」事務局長小林さ和彦さんに詳しく案内して頂きながらじっくり見学することが出来た。
西村写真館は小林さんのご親戚らしく大正10年創業で以来74年に渡りこの地で写真館を続け平成7年に廃業、内外装は当時のまま で今年公開されるに至った。
http://www.retorokan.org/contents/history20120917_b_1.htm

結構歩いた。6kmも歩いたらしい。
山形の最後は”出羽桜酒造”の工場見学、本店は天童にあるのだが、今回は羽州街道添いにある山形工場を見学させて頂く。
1893年創業ということは今から119年も前の創業ということになる。

もう仕込みに入っていることだろう。出羽桜が出来るまでを杜氏の井上さんから丁寧な説明を受けることが出来た。
残念なことは試飲が出来なかったこと。う〜ん・・・次回に期待しよう!
出羽桜さんの隣には山形のそばではその名を知られる”三津屋そば”さんで遅い昼食となった。
ここは本店で知人に連れられて2,3度来たことがあった。
いつもはキャッスルホテル前の店に行くのだが、ここの”かしわザル”が好みの味である。
【9月29日(土)初日:茂吉記念館】
そば昼食を終え、一行は車で上山市みゆき公園内にある「斎藤茂吉記念館」を見学する。
私の父は茂吉の弟子結城哀草果が好きで小さい頃ラジオから流れてくる結城哀草果の詩をいつも聞いていた。
茂吉については全くの門外漢で知っていることと言えば、正岡子規に影響を受けて作歌を志すようになったことぐらいか。

この歌碑は蔵王にあったので何とか知っている。
息子の北杜夫の著書はむかし良く読んだ。
記念館を出て一行は上山市街を抜け、八郎が泊まったと言われる「中村屋旅館」(今は銀行が建っている)の前を過ぎ、上山駅前に到着した。暑かったー!!
今日の宿はこの「回天の道」やイザベラ・バードの踏査・検証以来、お世話になっている「はたや旅館」さんにお世話になる。
清河八郎は寒河江の橋本屋旅館からここまで約50kmを追ってを気にしながら逃げて来たのだ。
長くなるので今日はここまで・・・
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