2012年08月22日

西遊草の旅 踏査・検証ー1

image_kyokucho2s.gif<プロローグ>
”西遊草”とは、幕末の志士:清河八郎(山形県庄内の郷士、当時25歳)が、母亀代(当時40歳)の老後の楽しみと弟や妹の旅の栞になればとの思いで、今から157年前の安政二年(1855年)伊勢参りをしたときに書いた旅日記で、生家のある山形県庄内町清川から余目、藤島、鶴岡、湯田川温泉、温海から新潟県に入り、長野善光寺、伊勢、奈良、京都、大阪、広島、高松(金比羅)、厳島、岩国(錦帯橋)、岡山(備前)、鞆の浦、京都、天橋立、三井寺、江戸、日光、米沢、尾花沢、清水を通り、舟で生家の清川まで約半年の旅である。
20120815-17saiyusou_1-1.jpg
20120815-17saiyusou_1-2.jpg

<初日:8月15日(水)>
am9:30湯田川温泉隼人旅館の庄司さん、佐野さん、矢口の他、同行取材をしてくれることになった山形新聞鶴岡支社長の伊藤さん、カメラマンの色摩さんと合流、清河神社に旅の安全祈願をして山形路の庄内側ルート約75kmの踏査・検証に出発した。清河神社では宮司の正木さんが、また生家跡の駐車場ではお祭りの準備に忙しい清河八郎顕彰会のメンバーに見送りをして頂いた。
20120815-17saiyusou_2.jpg

10:00生家をスタートしてまずは田谷村(現庄内町田谷)を目指す。途中、背中に掲げた「清河八郎西遊草踏査・検証の旅」の旗を見た方が声小を掛けてくれたので立ち話をしてみると何と清河八郎家に連なる親戚の方で名前はKさんと言った。齋藤家が遺した遺品があるので見せて頂くことになった。こういう人との出会いこそ旅の醍醐味である。
西遊草には田谷村の”渡部作右衛門と一杯をかたむく”としたためてあったので取材を試みる。
渡部氏とは、長谷川家(現山形銀行に連なる)、言わずと知れた本間家と並び称された富豪で羽黒山に植えられた約1,000本の田谷杉(樹齢200年)は渡部氏の寄進だったとか・・・

20120815-17saiyusou_3.jpg

田谷を後にして鶴岡市内にある八郎の母の姉(政)の生家を訪ねる。
末裔は現在三井病院を経営する方でお話を聞くことが出来たが、八郎につながるものは見いだせなかった。しかし今に続く名家で蔵座敷なるものを見せて頂いた。柱、梁は全てケヤキでその太さには圧倒された。
20120815-17saiyusou_4-1.jpg

また”三井きよの”さんが書いた道中日記の貴重な原本も見せて頂いた。
20120815-17saiyusou_4-2.jpg

初日の踏査・検証は思いがけない成果をあげることが出来た。
八郎は母の実家に宿を取ったが我々は湯田川温泉の隼人旅館にお世話になった。
清川から湯田川までの距離約33km、明日はいよいよ鬼坂峠超えとなる。
20120815-17saiyusou_5.jpg

 
posted by c at 03:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 清河八郎
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/57718995
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック