3/10(土)の元気・まちネット総会&自主公開講座の後、夜行バスで庄内町へ移動、翌11(日)の午前中は、庄内町の清河八郎顕彰会の皆様と来年度の事業についての打ち合わせ、午後からは、清河八郎没後150年顕彰事業/劇団響特別公演「お蓮」を鑑賞させていただきました。
清河八郎の妻「お蓮」さんを取り上げたこの劇は、清川出身の脚本家:柘植徳井(つげ・とくい)さんによるもので、地元の「劇団響」をはじめ、鶴岡市の劇団「表現舎刻一刻」、そして町民のみなさん、総勢約20人が役者をつとめ、10日(土)11日(日)の二日間上演されました。
3時間の長丁場でしたが、役者の皆さんの熱演にぐいぐいと引き込まれ、お蓮さんの真っすぐで凛とした姿に目頭を押さえつつ、時間の長さは全く気になりませんでした。
チケットは全てSOLDOUT、当日は朝早くから良い席を求めて行列ができるほど・・・。両日あわせて1000人以上の方々が鑑賞されたそうです。以下は、矢口からの報告です。
幕末の志士清河八郎の妻で名は”お蓮”さんという。
鶴岡の「うなぎや」で遊女として働いていた「高代」の知的で物静かな姿に惚れ、親の反対を押し切って妻に迎える。
泥中に咲く花”蓮”に例え、名を”お蓮”と改め、仙台で所帯を持って江戸へ上がり文武両道の「清河塾」を開塾、幸せな生活も長くは続かなかった。
「桜田門外の変」を受け、文武両道に励むはずだった清河八郎も尊皇攘夷から倒幕へと心が移り変わっていく。
幕府の罠にはまり町人切りの罪で追われる身に・・・
お蓮は清河八郎を逃した罪で小伝馬町の牢屋に入れられ、拷問の末に命を落とす。
清河八郎没後150年を迎える庄内町清川の響きホールで”お蓮”を観賞した。
途中15分の休憩を挟み3時間にわたる劇も全然長いとは感じなかった。
清河八郎を献身的に支えた”お蓮”さんを地元の市民劇団の役者さんが見事に演じきった。
あまりの熱演に不覚にも涙が止まらなかった。
再演が望まれる。
山形新聞にも上演の記事が掲載されていました。
2012年03月18日
2012/03/11(日)庄内町
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