2011年12月12日

2011/12/09「回天の道・六十里越街道広域連携懇談会」

2011210yamasin.jpg12月9日(金)山形市の霞城セントラルで、「回天の道・六十里越街道広域連携懇談会」を開催。その模様が12/10の山形新聞に紹介されました。

庄内と内陸を結ぶ「回天の道・六十里越街道」沿いには魅力ある資源が豊富にあります。
私たち「NPO法人元気・まちネット」は、各自治体のご要望を中立的な立場から精査・検討して皆さんと活発な議論をしながら各地域の“つなぎ役”として、継続して活動・展開出来るメリットを持ち合わせており、広域連携の旗振り役(ファシリテーター)として、その魅力ある地域資源を公平・中立的立場で全国に情報発信出来ると確信します。


今回は、庄内町、鶴岡市、西川町、寒河江市、山形市、上山市、村山市から、市町村や地域づくり団体の関係者など約20名の皆様にご参加いただき、私たちの提案をもとに様々な意見交換を行いました。

pdficon_large.gif(山形新聞2011/12/10)
「回天の道」と六十里越街道テーマ;広域観光可能性探る

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以下、矢口からの報告です。

kaitennomichi.gif『回天の道・六十里越街道の広域連携による観光振興について』と題した懇談会を霞城セントラル23階「高度情報会議室」で元気・まちネット主催で行われた。

幕末の風雲児「清河八郎」は18歳のとき、向学心に燃えて郷里清川(現在庄内町清川)から、山伏峠、羽黒山麓、六十里五街道、西川、寒河江、山形、上山は楢下宿を通り江戸へ向かった。約150kmに及ぶ山道を追っての目を逃れ3日間(1日平均50km)で歩き抜けた。

今は道路も整備され当時の面影が残っているのは多層民家(2軒)がある田麦俣から西川町の志津温泉までの約20kmとなっている。しかし途中には僅かながらも宿場や石橋など当時を彷彿とさせる場所も残っていることから、この街道に沿う7市町(庄内町、鶴岡市、西川町、寒河江市、中山町、山形市、上山市)が行政の目に見えない壁(境界)を越え、広域連携をすることで新たな観光資源の発掘、振興に結びつけられるのではないかと考え、観光課、観光協会の関係者に声をかけさせ集まって頂いた。

20111209kouikirenkei.jpg12月議会で多忙にもかかわらず20名(1市町2名でも14名)の参加者を得ることが出来た。

実は数年前『六十里越街道広域連携プロジェクト協議会』が庄内の鶴ヶ岡城と内陸の山形城を結んで観光振興を目的とした組織が立ち上げられた。
しかし残された「報告書」から当時の経緯を僅かながら伺い知ることが出来るだけとなった。

元気・まちネットはこの報告書を参考にしながら内陸と庄内を結び、新たな観光資源の発掘と、点から線、そして面へと展開して山形の歴史街道の振興策を図ろうと考えている。

2時間30分という長時間にもかかわらず、積極的な意見・提案を頂くことが出来た。
2012年始めからこのプロジェクトの推進役をやってみたいと強く感じた意義ある懇談会であった。

 
posted by c at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 清河八郎
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