2015年11月10日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その3

【5月6日(水)晴れ、大石田〜新庄/約25km】

 6:30起床、よく眠れた。準備をして朝食を頂く。宿の女将さん(おばあちゃん)が世間話をしながらごはんをよそってくれた。話をしているうち、梅津先生と芭蕉の勉強会や旅でご一緒する間柄とかで、ビックリした。有路さんは芭蕉風の出で立ちで迎えに来てくれたので部屋で少しだけ待って貰うことにして、早々と食事を済ませて午前8時、宿を出発した。

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 有路さんの案内で芦沢駅まで旧道を歩く。9時45分芦沢駅着、距離にして約8km、10時駅から毒沢の交差点まで約3.3km歩き11時、毒沢の交差点着、ここから猿羽根地蔵山まで旧道を歩く。新緑の中を歩くのは実に気持ちがいい。

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キブシ、タムシバ、マメザクラ、ヤマフジなどが咲き乱れ、足元にはコゴミの成長したクサソテツが新緑の峠道を華やかに彩っているので飽きがこないし、2.5kmの峠道もあっという間に上ってしまった。樹間越しからは残雪を抱いた月山がはっきり眺めることも出来た。

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ちょうど1時間で山頂の地蔵尊に上がることが出来た。有路さんの友人夫妻が待っていてくれた。少し下って友人が経営する「ぎゃらりぃ悠里」で昼食を摂り、4人で2時間ほど歓談する。バードの旅を初めて8年目で、ここから初めて鳥海山を眺めることが出来た。有路さんとはここまでで、3人に別れを告げ、ぎゃらりぃ悠里の阿久津夫妻にも見送られ、痛みを増した足を引きずりながら旧羽州街道をただひたすら、新庄にある「ブナの一里塚」を目指して歩く。

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やっとのことで新緑のブナに会えた。猿羽根峠からここまでは旧道にまつわる新たな資料は見つかっていない。巨木のブナを数枚写真に収め新庄駅を目指す。午後5時やっとの思いで最後の10kmを歩くことが出来た。

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 兄の住む万場町に歩く力は残っていない。タクシーを拾って兄宅に向かう。風呂を沸かして待っていてくれた。ゆっくりと風呂に浸かり旅の疲れを癒す。風呂から上がり大きく育った水ぶくれと肉刺(マメ)の手当てをして、午後6時、羽賀先輩の待つ「焼き鳥屋さかい」に向かう。羽賀先輩の知り合いで新庄祭り「新庄山車連盟筆頭副会長」の川崎夫妻を紹介され、一緒に飲む。今日もご馳走になり午後9時帰宅して就寝。ああ〜しんどかった。

2015年11月09日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その2

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【5月5日(火)晴れ、天童〜大石田/約35km】

 6時起床、ホテル隣のコンビニでおにぎり2個と飲み物、バンドエイドを購入、部屋で右足小指と左足裏の肉刺(マメ)にバンドエイドを貼り、午前7時天童をスタートする。

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 今日は大石田駅前までの約35kmを予定。ここからの羽州街道は直線で高低差がなく平坦な道が続く。約1時間半あまり歩くと左手前方には真白い雪に覆われた雄大な月山と手前には雪が解け始めた葉山が見えてきた。バードも同じ景色を眺めながら歩いたことだろう。

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 9時30分、さくらんぼ東根駅前を通過、バードも見かけたであろう松並木を見上げながら、歩を進めると麩で有名な六田(ろくだ)に入る。甘いものが欲しくなり、何度かお邪魔したことのある「文四郎の麩」に入るとお嬢さんと思われる女性が「あら、またバードの旅ですか?お茶をどうぞ。」と薦めてくれた。小休止、そして麩ドーナツを買って食べながら歩を進め、11時村山駅を通過、駅前に出来た甑(しよう)葉(よう)プラザ内の芝生広場で小休止、お腹が空いて来た。この近くで昼飯を摂らないとハンガーノックになってしまいそうだ。

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 大きな岩を抱くように伸びるケヤキが特徴の愛宕神社を通過、1881年(明治14年)明治天皇の東北巡幸を見据え、当時の県令だった三島通庸が1978年に岩山の開削工事を行い、このとき切り離され残ったのがこの岩山だったということは、バードも開削され直線となったこの道路を通ったに違いない。なかなか食べるところが見つからない。愛宕神社の坂を下りたところに食堂の看板が見えたが、GW期間中のため休業の看板が・・・頭の中は食べることで一杯だった。

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 前方に「尾上の松」が見えてきた。たしか昔ドライブインだったところなので「何かあるかも知れない」と歩く速度も自然と速くなる。食堂の看板が見えた。ああ〜やっと昼飯にありつける。時間はすでに12時50分、天丼定食を注文、貪り食う!午後1時30分食堂を出発、村山を過ぎたということは間もなく袖崎(そでさき)に入る。袖崎小学校を過ぎ、取上坂を下った田んぼの畔に地元の歴史研究会の皆さんが建ててくれた「清河八郎、イザベラ・バード鳥海山眺望の地」と書かれた標柱に出会う。午後2時20分、湯舟沢温泉の大泉さんに6月お世話になる旨の電話をする。

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 足の小指の肉刺も、左足裏の水ぶくれも痛みを増し、歩くことさえ困難になって来た。写真を撮ろうと足を止め、カメラに収め歩き出そうとするときが一番痛む。だましだまし、恐る恐る一歩また一歩と踏み出しながら歩き始める。やっと大石田へのサインが見えてきた。尾花沢市街は何度も通っているので、今日は最上川沿いに沿って歩こうとバイパスを左折してちょっとした峠を越えて進む。

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 すると左手前方に雄大な流れを見せながら最上川滔々(とうとう)と流れていた。石垣に腰を下ろし休み休み大石田を目指す。そしてやっと長い坂を終え左に曲がると大石田の駅が見えて来た。午後3時15分、駅前にある最上屋旅館に到着。8時間15分、距離にして35km、今日も良く歩いた。チェックインしてまず足を確かめる。うわ〜凄い。左足裏の血豆に貼ったバンドエイドをはみ出し、大きな水ぶくれとなって広がっている。これじゃ痛い訳だ。女将さんに縫い針と塗り薬を借りて、マメの水を抜き、消毒してバンドエイドを二重にして貼る。立ち上がって最初の一歩がそれこそ重病人のような格好になっている。温めの湯にゆっくり長く浸かって今日の疲れを癒す。

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 部屋に戻ると急に眠気が襲って来た。今晩呑むことになっている大石田体育協会会長の飛渡さんに連絡をとり、しばし休憩。6時20分ごろ渡海さんが宿まで迎えに来てくれる。渡海さんの車で居酒屋に向かう。少し遅れて有路さん、森さんが到着、とりあえず4人で乾杯する。有路さん、森さんのお二人は、昨年6月蔵王で開催したスポーツイベントにボランティアをやって頂いたので顔見知りだったこともあり、スムーズに会話することが出来た。20分ほど遅れて飛渡さんも合流、大石田スキー協会のことや、今回の旅の話で盛り上がった。明日は有路さんが猿羽根山まで一緒したいと言ってくれた。

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 散々ご馳走になり渡海さんに宿まで送って貰い21:30宿に戻った。流石に今日は疲れて一気に深い眠りに落ちていった。

2015年11月06日

イザベラ・バードの山形路を追体験(北遊草)その1

元気・まちネットの代表:矢口が、イザベラ・バードの山形路を追体験。
今回は赤湯〜及位(のぞき)まで、自分の足のみで辿る"がち"歩く旅。
旅のレポート「北遊草」をお届けします。
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【5月4日(月)晴れ、赤湯〜天童/約55km】

 東京駅6時12分発「つばさ」に乗る。GWだというのに意外と空いているのはちょっと驚いた。同行予定だった高橋さんは家族サービス、佐野さんは仕事が多忙なため、今回は一人旅となった。
 考えてみればこれまであまり一人旅はしたことがなかったように思う。決して嫌いではないのだが、一人旅の寂しさみたいのがあったのだと思う。人間はいずれ死ぬときは一人なのだから、旅ぐらい一人で出来なくてはこの先どうなるのだ。なんて思いながら友人とメールのやりとりをしているうちにつばさは定刻通り赤湯駅に到着した。改札を出るやなんと喪服姿の沼沢君が・・・これから旅が始まるというのに縁起でもない。(笑)

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 沼沢君にこれと言った用事があったわけではないのだが、旅の始まりが赤湯駅では、彼に黙ってスタートすることは出来ないということで、予め沼沢君には連絡しておいたのだ。
「どこまで行くんですか?」「及位(のぞき)まで」「えっ、及位?どのぐらいあるんですか?」「150km」「そりゃ無理ですよ」「まあ、何とかなるでしょ、行けるとこまで行ってみるよ」・・・そんなやりとりをして午前8時50分、赤湯駅をスタートする。駅から東に3kmほど進むと赤湯の温泉街が現れる。

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 イザベラ・バードは赤湯温泉に泊まる予定にしていたのだが、「三味線をかき鳴らし、琴をきぃきぃ弾き、その音に我慢出来なかった」ので、そこから16マイル(約25km)離れた上ノ山温泉まで足を延ばしたのである。温泉街を抜け、白竜湖を右に見ながら取上坂(鳥上坂)を上り、レンガ造りの隧道をくぐり抜け、羽前中山駅を目指す。周りの畑地にはサトザクラは満開を迎えていた。

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 スタートして2時間あまり歩いて午前11時30分、中山駅を通過、すると突然ビバルディの四季が流れてくる。どこで何のために流しているのだろう?そんなことを考えながら歩いていると、上山温泉が近づいて来た。バードが祭りの前夜に立ち寄ったという石崎神社を左手に観ながら、石井さんと待ち合わせしていた上山温泉街カミン(百貨店)に12時ちょうどに到着した。

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 石井さんとのお付き合いは長く、イザベラ・バードの山形路を踏査した2007年、バードに関する資料をまとめて会社に送って下さった方で、踏査・検証の途中、お世話になる「はたや旅館」の前に立ち、笑顔で迎えてくれたときの人なつこそうな笑顔は今でも忘れられない。

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(写真は2007年初踏査の時のもの)

スポーツイベントの合間を縫って会いに来てくれた。嬉しい限りである。昼時だったこともあり、そば屋で昼食を食べながらバードの思い出に浸る。ゆっくりはできなかったが、それでも2時間近く話をすることが出来た。

 石井さんに見送られ午後1時50分、「さかえ蕎麦店」を出発する。斉藤茂吉記念館を過ぎ、旧羽州街道を山形に向かう。途中リナワールド(遊園地)付近で雨が落ちて来た。タブレットやカメラを持っていたので慌ててコンビニに入りビニール傘を購入したが、それ以降、降る様子はなく、傘を持って歩くことになる。体も足も快調だが、7kgあるバッグを背負っての歩きは結構しんどい。
 午後3時過ぎ山形市内に入ったが、予定より時間がかかっている。山形キャッスルホテル前で元山形新聞のカメラマンだった色摩さんと3時半ごろに会うことになっていたのが、この分だと少し遅れそうだ。途中自転車に乗ったおじさんが、背負っている旗を見て「なんで歩いてるの?」と聞かれたりして、色摩さんと会えたのは午後4時になっていた。冷たい飲み物を頂き少し元気を回復する。夕方の再会を約束して再び歩き出す。『・・・大通りの奥の正面に堂々と県庁があるので、日本の都会には珍しく重量感がある。どの都会も町はずれはとても貧弱だが、新しい県庁の高くて白い建物が低い灰色の家並みの上に聳えて見えるのは、大きな驚きを与えるー高梨健吉著・日本奥地紀行よりー』と、七日町通りから見た県庁(現文翔館)を書いている。歩き始めてすでに30kmが過ぎ、足の小指にわずかだが痛みを感じるようになって来た。

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 馬見ヶ崎川に掛かる千歳橋を渡ったときはすでに午後6時(18:10)を過ぎていた。
歩き始めて約40km、9時間を優に超えている。天童までは残り11km、何時ごろ到着するのだろう、ちょいとばかり不安になって来た。早朝ウオーキングでは10kmを90分〜100分で歩けているが、7kgのバッグを背負って歩くのは初めての経験で、どのぐらい掛かるのか全く予想がつかない。倍かかったとして200分ということは3時間20分、到着は午後9時半か・・・友人に「遅くなった場合に備え反射テープを持って行ったら?」と言われたことを思い出す。

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 ここからの旧街道(羽州街道)は道幅が狭く、歩道は側溝幅しかなく歩きに上に、街灯もないので後ろから来る車のライトを頼りに歩くしかない。それでも歩を止めるわけにはいかず、ひたすら歩き続ける。真っ暗闇の中、狭い歩道をずんずん進む。頭にあるのは、奥羽本線の跨線橋であそこまで行ければ天童の町の明かりが見えてくるはずで、とにかくひたすら歩く。
ときどき仲間から届く激励メールが唯一、萎える気持ちを奮い立たせてくれる。足裏の肉刺(マメ)もだんだん痛みが増してきた。そうこうして歩いていると歩道の高さが少しずつ増してきて跨線橋らしき雰囲気になってきて、電車が通る音も聞こえて来た。やっと天童のまちの灯りが見えてきた。涙が出そうになるのを堪え、重い足を引きずりながらやっとのことで跨線橋を超えた。

 そして午後8時20分天童セントラルホテル到着、距離にして55km、時間にして11時間40分、昼休みの1時間30分を差し引くと、10時間10分も歩いたことになる。10kmあたり2時間費やしたことになるが、肉体的にはなんら問題はなく至って元気である。
色摩さんに到着の連絡をしてチェックイン、とりあえず汗を流し着替えると玄関で待ってくれている色摩さんと合流、何と奥さんと義理のお母さんも来てくれた。色摩さんの車で少し離れた居酒屋に午後9時ごろ入る。イザベラ・バードの話などで盛り上がり、店を出たのは10時半を回っていた。
ゆっくり風呂に入り、疲れを癒す。励ましてくれた友人達に連絡して、ベッドに入ったのは午前零時を回っていた。