2015年01月11日

山形新聞2014/11/04

訪日観光客の誘致を目指して様々な施策が打ち出されていますが、山形らしい誘致活動とは、果たしてどのようなものなのでしょう。

山形新聞2014/10/09

山形県西川町が生んだ「女医・志田周子(ちかこ)」。へき地医療に生涯を捧げたいしゃ先生の一生を、あべ美佳さんの脚本で映画化される運びとなりました。

元気・まちネットは、縁あって「志田周子を銀幕に蘇らせる会」のHPを作成、全国に情報を発信するお手伝いのミッションを頂きました。

『人生で初めて映画のオーディションを見学させて頂いた。』という代表:矢口の想いが、山形新聞に掲載されました。

2015年01月07日

報告:2014/12/06 元気・まちネット自主公開講座-日本奥地紀行-イザベラ・バードの山形路(200km)

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12/6(土)自主公開講座が専修大学大学院で実施された。

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イザベラ・バード(以下バード)が没して今年で110年、自主公開講座は「日本奥地紀行―イザベラ・バードの山形路200km―」と題して、2007年の踏査・検証から始まり、この7年間、東京(1回)と山形(4回)でシンポジウムの開催、旅企画6回を実施してバードの追体験を通して山形の魅力(風景、歴史・文化、食など)を伝えて来た。そして、当初からの念願であった200kmを広域連携した形でのルートマップを2013年度に完成することが出来た。

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明治初期の日本(人)の自然・風土、宗教感、考え方や暮らしぶりが、イギリス人のバードにはどう映ったのか、この7年間の締めくくりとして、もう一度「バードの山形路」を見つめなおし、来年以降更なる「歩く旅」の魅力を伝えたく、自主公開講座を開催した。

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【第一部:基調講演】
2009年、山形路200kmを1泊2日の強行日程の旅企画に参加して頂き、今日まで陰ながらアドバイスを送り続けて頂いた福田徳郎さんをお招きした。

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福田さんとは2008年11月、毎日旅行社が企画した「イザベラ・バード日本上陸130周年記念、第一回/横濱海岸通りと外人居留地跡を歩く」に佐野理事と参加した際に知り合った。バードが奥地紀行に出発するまで横浜や東京で誰に会ってどのように日々を過ごしたのかを3回シリーズで案内してくれるというもので、古道紀行エッセイストの金沢正脩氏が案内役を務めてくれた。

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基調講演の内容は後日、テープ興しをして詳しく述べるが、バードが来日した目的(エージェント=諜報員)やその背景を、その時代考証から面白く解説してくれた。また、山形路(特に小国13峠)のブナ林や当時の石畳を掘り起している地元のNPO法人へ旅人自らが感謝しながらも、エリアトラスト運動の必要性を説いて頂いた。

【第二部:朗読会】
山形路200kmの踏査・検証や旅企画を通して山形の自然風景、建造物、食、宿、出会った人々の交流をパワーポイントで紹介、「日本奥地紀行」の中でもハイライト部分にあたる小国13峠、赤湯から上山・山形、猿羽根峠、金山町(上台峠)の舞台を佐野理事の爽やかな語り口で紹介した。

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佐野理事は元気・まちネットの2006年の創設時からのメンバーで、プロフィールにも示す通り、山形路1,000km(源義経「北国落ち」150km、松尾芭蕉「おくの細道」200km、イザベラ・バード「山形路」200km、清河八郎「回天の道」150km、清河八郎「西遊草の道」250km)を踏査・検証、山形県人よりも山形の歴史を「歩く旅」を通して精通していること、またNHK朗読講座上級卒業という輝かしい実績を持ち合わせ、本日の自主公開講座に朗読を通して華を添えて頂いた。

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【第三部:フリートーク】
自主公開講座を聴講して頂いた参加者からは、「何故、バードが来日したのか、その目的とは?」、「何故、イギリス人はアイヌの墓を荒らしたのか?」、「13峠を歩きながら、エージェントのことなど忘れて楽しむことが出来た」、「人生とは邂逅である」などなど、新しい発見や面白いお話を聞くことが出来た。後日テープ興しをしてHPから発信したいと考えています。

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★毎回、会場のみならずスクリーン、プロジェクターなどを無料提供して頂いている専修大学(大林守商学部教授)には、改めてお礼申し上げます。


【参加者からの感想】

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今日はお疲れ様でした。
矢口さんのご紹介で来ました。公開講座の感想ですが、皆さんのお話で、山形ってこんなに自然豊かなところだなあと感じました。心地よく朗読を聴いていたら日本にいる間に一度行ってみたいです。
【曹くん・千葉大留学生】

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lli06.gif5年前、福田先生にご案内して頂いた「横浜に上陸したバードを追って」に参加し初めてイザベラバードの「日本奥地紀行」のことを知りました。
当時の日本の実情を考えると彼女の意思と実行力に驚くと同時に興味を持ちました。
今回の公開講座「バードの山形路」を受講して、彼女の本当の目的は、コースの設定にはどんな意味があったのだろうか、欧州人の見た当時の風習・庶民の暮らし等々益々興味が湧いて来ます。
4年前、萱野峠、黒沢峠を歩き、置賜平野の集居村を遠望してアジアのアルカディアと感嘆した場所を訪ねた時を思い出し懐かしく、豊かな自然と、歴史に触れながら、また是非訪れてみたいと強く感じました。
【古往今来の会・村上昌造 様】

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lli06.gif先日はとても楽しい時間でした。
今回も勉強不足で発言を求められた際はしどろもどろ…。
バードについて同じ資料から感じること、想像することが皆それぞれでどの推察も正解であり得るというのが興味深く、一層魅力的な人物に思えてきました。
懇親会で福田先生に「幅広い知識はどのように身に付けたのですか?」と尋ねた所、「このようなお酒の場で知り合う多くの人との会話から…」とお答え頂きました。
それなら私にも出来るかな〜と(笑)、これからも周囲の人々から多くのものを吸収していきたいです。
【神奈川県、鈴木綾子さま】

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lli06.gif昨年4月に山形県南陽市を訪問するまで、名前さえ知らなかったイザベラ・バードですが、知れば知るほど奥が深く、ますますハマりそうな予感がします。IB倶楽部の皆さんの、熱気と探求心があふれるくらい伝わる公開講座でした。
次回は歩いてみたいです。
【川口市・大竹敦子さま】

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lli06.gifツインタイムトラベルとは「過去の旅行記に描かれた旅の時空と自らの時空を主体的に重ね合わせる」新しい旅の形をいうらしい。一昨年、山形のある町のマーケティングアドバイザーを一緒に担った友人が大胆にもそれを実行した。新潟県関川村から山形県小松村までの越後米沢街道にある13の峠をまとめて歩くツアーを出掛けたようだ。彼に誘われて今回の公開講座に参加し、その13の峠の行程の詳細を学べ、朗読と共にバードになった心地!になり、ハイジアパーク南陽に飾られていた彼女の写真が脳裏に蘇った。アドベンチャラスな意志の強い女性、そしてイギリス政府のエージェントでもあったというミステリアスなところも大変興味深い。金山町のハーブを効かせて焼いた鶏肉が戴ける「イザベラバード御膳」も是非食してみたいなぁ。
【市川市・中村昌子さま】

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lli06.gifバードには翼がないが冒険心と探究心がある。著したものは主観でありながら異国人からみた客観でもある。利益や名声を意識していないので、それは自然体の表現ともいえる。日本の風俗・文化・自然に対するバードの賞賛に小躍りしたり、誤解を含む観察・論評に反論する必要はなかろう。ただ130年以上経ても色褪せることのないひとりの女性、ひとりの人間の生き様に何かを感じれば良いと思う。
今年は越後米沢街道を歩き、今回の公開講座でバードの新たな一面を知ると共に朗読で当時の雰囲気に浸ることも出来た。2015年も時空を越えたバードとの交わりがあることを願っている。
【市川市・中村隆俊 様】




「はまり込む謎の人イザベラ・バード」

調べればどんどんと深みへはまり込む〜〜イザベラの生涯は旅に明け暮れたというが、快適を選ばず、むしろ苛酷な旅を運命のように思って実践したのは、父母が属し、神父を務めた英国国教教会への報告と王立スコットランド地理学協会への推挙という高い峰を目指していたのだろうか。
ヴィクトリア朝の婦人探検家(レディストラベラー)はバードを含め14名。
ヒマラヤ登山を始め、世界各地の探検や調査旅行の目的は地理学会会員に推挙されるのもさることながら「婦人参政権」の獲得が大きな目標だった。
 バードの「日本の未踏の地」(日本奥地紀行)が刊行後、偶然なのか英国の婦人は参政権を獲得し投票権を得たのだった。
 こまごまと調べて行くと、日本奥地旅行も到着の1年前から東京で活躍のパークス公使夫妻によるバードの内地旅行の特別査証や、北海道の開拓使
黒田清輝の指示によるアイヌ調査のサービスぶりも腑に落ちる。
バードの旅のハイライトはなんといっても日光から新潟、そして新潟で北海道への船便が無く、やむを得ず、地図上白紙だった山形県縦断200キロ
の徒歩旅の日々が読む者をわくわくさせる記述に満ちている。
 旅するバードを眺めていた日本側の記録が山形の旧家の土蔵からでも出てこないかというのが私の大きな期待の一つだ。
バードの行く先々には、連日黒山の人だかりが出来、噂は10里を走ったに違いない。
されば地元の庄屋さんや、寺子屋の師匠や、坊さんが日記にバードの挙措を誌しているのを大いに期待しているのだ。
福田 徳郎
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