2012年08月27日

広報かねやま2012/08:"イザベラ・バード"シンポジウム in 金山2012

7/14~15に山形県金山町にて開催されました『 "イザベラ・バード"シンポジウムin金山2012』が、金山町の「広報かねやま」2012年8月号に掲載されました。
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pdficon_large.gif広報かねやま 2012/08 "イザベラ・バード"シンポジウムin金山2012


なお、シンポジウムのレポートは、こちらをご覧ください。

lli06.gif金山シンポジウムの報告(その1)

lli06.gif金山シンポジウムの報告(その2)

lli06.gif金山シンポジウムの報告(その3)

lli06.gif山形新聞2012/07/15
2012年08月26日

西遊草の旅 踏査・検証ー3

正しい日本の朝食に大満足しているところに山形新聞社さん迎えの車が到着、鼠ヶ関を後にする。
 
昨日ゆっくり見られなかった小国まで移動して自治会長の五十嵐さんに小国宿について話を聞く。
昨日、小国についたとき佐野さんが思わず「大内宿だぁ〜」と声を上げた。
確かにあの福島県にある大内宿の町並みにそっくりである。但し藁葺き屋根の家は一軒も無く、まっすぐ伸びた広い通りと家並みに当時の面影を残すのみであった。
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小国宿を抜け、角間台峠に差し掛かるところにまたもや巨木の杉並木の奥に熊野神社が祀られていた。
3日目の始まりも旅の安全祈願が出来るなんて、今回の踏査・検証は縁起がいいというのかついている。
両側は杉林で鬱蒼としており、暑さから逃れることが出来てまっすぐに伸びる急坂(角間台峠)もすいすい登れた。
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涼しかったお陰でなんなく頂上にたどり着くことが出来た。
頂上からは日本国(標高差555m)が眺望することも出来た。
下りは本当に気分よく降りること出来た。鼠ヶ関川を流れる清流を見ながら小名部(おなべ)集落に到着、昼ご飯をと店を探すがどこにも見あたらず、結局車で海側に位置する温海駅まで戻ることに・・・
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昼食を終え小、再び小名部集落に戻り、山形県と新潟県境の堀切峠に入る。
山形県と新潟県の境界に位置する日本国(標高555m)入り口を西右手に見ながら安心して進んだつもりが、まむしに出会うわアブの大群、よりによって僕だけに集中攻撃を仕掛けてきたのでたまったものではない。
登りも下りも約2km、計4kmを歩き、今回の旅の目的地小俣集落(新潟県)に到着した。
この集落は小俣宿と呼ばれ、各家家の玄関先にはそれぞれの屋号が同じ大きさの板に彫られ当時の面影を色濃く残していた。「吉佐ェ門」という屋号の家に清河八郎母子は泊まったのである。
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「治右ェ門」という屋号の玄関に佇むおじいさんが手招きして我々を呼んでくれている。
訪ねると「旅のみやげだ」と言っておじいさん手作りの竹とんぼをたくさんくれた。こんな出会いも手作りの旅ならではのことで心底嬉しい。
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今日の距離約12km、2つの峠超えも楽しく越えることが出来、今回の「西遊草の旅」は無事終了した。
山形新聞の伊藤さん、色摩さん、佐藤ロッジの佐藤さんご夫妻、同行してくれた高橋茂さん、佐野さんに感謝したい。

 
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2012年08月24日

西遊草の旅 踏査・検証ー2

image_kyokucho2s.gif初日は暑さにやられた。
足の方はなんとも無かったのだが昨日は木陰が無かったこともあり、あの暑さにしてやられた。

”行衛と早人の家人に見送られ湯田川を出立した”と西遊草にはあるが、この行衛とは現大黒屋旅館(今は営業はしていない)、早人は隼人旅館を指している。
大黒屋さんに取材を試みるも出かけているらしく留守だったが、我々は隼人旅館の皆さんに見送って貰い、今日から旅に合流した会員の高橋茂さんを加え、湯田川を後にして温泉の外れに位置する熊野神社に安全祈願を詣でる。
今日も暑くなりそうだ。
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いきなり1kmも続く急坂(大日坂)の登りに入ると、流れるように汗が噴き出す。
一気に300m位は登っただろうか、人工林の杉林に加えサワグルミの巨木が目立つ。
登ったあとは当然下りに入るのだが下からはフィトンチッド一杯の涼風が吹き上げてきて登りの疲れも吹き飛んでしまう。
冬に使うのだろうか杉の間伐材がストーブにくべるちょうどの大きさに伐られ、まるで現代アートのように道路脇に綺麗に積まれていた。

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田川の町を抜け千仏洞窟、梅林寺を見学、この千仏洞窟に登る階段は苔で足元が滑り、手すりがなかったら登れる階段ではない。
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数十段の階段をやっとのおもいで上りきると大きな岩をくり抜いた洞窟があり、中には10cm位の大きさの石仏がろうそくの炎に揺らいで見えた。清河八郎もここで旅の安全祈願でもしたのだろうか。
国道345号線をひたすら鬼坂峠を目指し歩き続ける。木陰もなく汗が滝のように流れ落ちる。
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国道からそれ坂野下集落に向かう途中「中野の梅」と書いた看板と梅の木に出会う。
約900年前八幡太郎義家の時代まで遡る。庄内地方に梅が移入されたのはこの頃であると伝えていた。
いよいよ今回の旅のハイライトというか難所の鬼坂峠に入る。
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登りの道は整備されていて直登だが歩きやすかった。安政二年のころはどうだったのだろうか、40歳の母はこの坂をどうやって登ったのだろうか、出来ることなら聞いて見たいものだ。2kmほど登ったろうかやっとのことで頂上にたどり着く。
鬼坂峠の地蔵堂が10段ほど登ったところに鳥居があり、その奥に地蔵堂跡地を示す碑があった。
本来ならばこのあたりに2軒の茶店があったのだがその面影は到底想像出来ない。

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ここからの下りはそれこそアドベンチャーものでクマザサやミズ、クズのツルが生い茂り太めの杉の枝で払いながらおりるのだが、途中崖崩れでコナラの樹木が3ほど根こそぎ倒れ、その間を抜けるのに一苦労させられた。

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1kmほど下ったところに「ロッジ佐藤」が現れ道に迷わず降りてこれたことにホッとする。
我々の声にロッジの奥さんと旦那さんが迎えてくれて、手作りのシソの葉ジュースを頂くことが出来た。
ちょっと酸味のあるジュースの旨さったらなかった。生き返るということはこういうことを言うのかも知れない。
ちょうどこのころ山形新聞の伊藤さん、カメラマンの色摩さんは携帯が繋がらないことで”すわっ遭難?”と思ったらしく携帯の繋がる国道を行ったり来たりしていたらしい。
このあとにに控える楠峠(通称:フンナ坂)は距離も高さもあったが舗装された道で鬼坂峠に比べればどうということはなかった。

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小国集落まで車で移動し、まち並を見るだけにとどめ今日の宿である鼠ヶ関(ねずがせき)「民宿丸武」に向かった。
総距離約30km、良く歩いた。
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民宿丸武さんは昔トライスロンで訪れていたころ世話になったところで、ここでの夕食は超・超抜群でとにかく大笑いするしかなかった。

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2012年08月22日

西遊草の旅 踏査・検証ー1

image_kyokucho2s.gif<プロローグ>
”西遊草”とは、幕末の志士:清河八郎(山形県庄内の郷士、当時25歳)が、母亀代(当時40歳)の老後の楽しみと弟や妹の旅の栞になればとの思いで、今から157年前の安政二年(1855年)伊勢参りをしたときに書いた旅日記で、生家のある山形県庄内町清川から余目、藤島、鶴岡、湯田川温泉、温海から新潟県に入り、長野善光寺、伊勢、奈良、京都、大阪、広島、高松(金比羅)、厳島、岩国(錦帯橋)、岡山(備前)、鞆の浦、京都、天橋立、三井寺、江戸、日光、米沢、尾花沢、清水を通り、舟で生家の清川まで約半年の旅である。
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<初日:8月15日(水)>
am9:30湯田川温泉隼人旅館の庄司さん、佐野さん、矢口の他、同行取材をしてくれることになった山形新聞鶴岡支社長の伊藤さん、カメラマンの色摩さんと合流、清河神社に旅の安全祈願をして山形路の庄内側ルート約75kmの踏査・検証に出発した。清河神社では宮司の正木さんが、また生家跡の駐車場ではお祭りの準備に忙しい清河八郎顕彰会のメンバーに見送りをして頂いた。
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10:00生家をスタートしてまずは田谷村(現庄内町田谷)を目指す。途中、背中に掲げた「清河八郎西遊草踏査・検証の旅」の旗を見た方が声小を掛けてくれたので立ち話をしてみると何と清河八郎家に連なる親戚の方で名前はKさんと言った。齋藤家が遺した遺品があるので見せて頂くことになった。こういう人との出会いこそ旅の醍醐味である。
西遊草には田谷村の”渡部作右衛門と一杯をかたむく”としたためてあったので取材を試みる。
渡部氏とは、長谷川家(現山形銀行に連なる)、言わずと知れた本間家と並び称された富豪で羽黒山に植えられた約1,000本の田谷杉(樹齢200年)は渡部氏の寄進だったとか・・・

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田谷を後にして鶴岡市内にある八郎の母の姉(政)の生家を訪ねる。
末裔は現在三井病院を経営する方でお話を聞くことが出来たが、八郎につながるものは見いだせなかった。しかし今に続く名家で蔵座敷なるものを見せて頂いた。柱、梁は全てケヤキでその太さには圧倒された。
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また”三井きよの”さんが書いた道中日記の貴重な原本も見せて頂いた。
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初日の踏査・検証は思いがけない成果をあげることが出来た。
八郎は母の実家に宿を取ったが我々は湯田川温泉の隼人旅館にお世話になった。
清川から湯田川までの距離約33km、明日はいよいよ鬼坂峠超えとなる。
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2012年08月21日

2012/08/14(火)山形県庁観光課を訪問・・・

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14日(火)山形県庁観光課を訪問した。
 
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「旧白洲山荘の保存・活用」を進めているのだが、この活動に賛同してくれた地元のH氏、K氏のほか、山形市市会議員のA氏が同行してくれた。
他に山形県県会議員のY氏が同席、観光課のO課長にこれまでの活動を報告、「蔵王プロジェクトM・Jの考え方と方向が同じであれば協力して頂きたい」とお願いした。
会談は約90分、考えていたことは概ね説明・報告することが出来た。

焼津市に住むS氏を通じてヒュッテ・ヤレンで寛ぐ白洲次郎、スキーを持って蔵王山頂を目指す写真など50点余りを焼き増しして送って頂いた。
これまで白洲次郎の蔵王での証言はたくさん頂いたが、氏と最も交流のあったH氏の宿が消失したため殆ど残っていなかったので提供して頂いた写真はまさに蔵王での白洲次郎を語る上で貴重な資料になった。

10/20(土)には山形市内で「白洲次郎の愛した蔵王」と題して、フォーラムを実施する。提供して頂いた貴重な写真50点も白洲ファンの方に紹介したい。
タグ:活動記録
2012年08月20日

山形新聞2012/08/15:山形・蔵王温泉 自身が建てた山荘でくつろぐ 白洲次郎の貴重な写真

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旧白洲次郎山荘(ヒュッテ・ヤレン)保存・活用の活動が新聞に報道されたことがきっかけとなり、山荘でくつろぐ白洲氏の姿をはじめ、当時のヒュッテ・ヤレンの外観・内観、および、蔵王スキー場を写した貴重な写真約50点が、元気・まちネットに届きました。


10月20日(土)には、山形市内で「白洲次郎が愛した蔵王」をテーマにフォーラムを開催、その際にはこれらの貴重な写真もご紹介したいと考えております。
詳細は決まり次第HPにてご案内いたします。


pdficon_large.gif山形新聞2012/08/15
「山形・蔵王温泉 自身が建てた山荘でくつろぐ 白洲次郎の貴重な写真」
2012年08月07日

回天の道・月山山麓アドベンチャーラン大会参加者募集!

20121013chirasi.jpg山形県の北西部、酒田市と鶴岡市に挟まれ、最上川の河口近くに庄内町があります。
この地は源義経、松尾芭蕉も立ち寄ったところとして知られており、幕末の志士清河八郎の生家もあります。霊峰月山より流れ出る清流立谷沢川、最上川は風光明媚なところです。

庄内町(清川)が生んだ明治維新の魁:清河八郎は、風雲急を告げる幕末の動きに目覚め、故郷清川を出奔する決意を固め、1847(弘化4)年5月、数え18歳にして江戸へと旅立ちました。

元気・まちネットでは、この道を「回天の道」と名付け山形路180kmを踏査・検証を行いました。山伏峠までの古道は地元の皆さんの協力で発掘・整備され、2010年からは回天の道文学散歩を企画・実施しています。

今年、その古道を活用して、東北では初の山岳アドベンチャーラン大会を企画・実施することになりました。

清河八郎は18歳のとき、一日で約60〜70kmも歩き江戸へ向かいました。
また、江戸では当時の最高学府に学び、北辰一刀流千葉周作道場で免許皆伝を取得、25歳にして文武指南の清河塾を開きました。
文武両道、まさに現代でいうところのスーパーアスリートだったのです。

さあ!幕末の志士:清河八郎に想いを馳せ、体力・気力・知力を駆使し、この山道を含む立谷沢一帯をアドベンチャーしましょう!!

■ 開催期日:平成24年10月13日(土)
■ 開催時間:午前9時30分受付開始、競技スタート11時
■ 申し込み締め切り:平成24年9月20日(木)

■ 申し込み、問い合わせ先:清河八郎記念館
  住所:山形県東田川郡庄内町清川字花崎37番地
  電話:0234−57−2104(FAX兼用)
  E―mail:
komasa@jan.ne.jp
■ メールで問い合わせの際はファイル添付はしないでください。件名に「回天の道について」と表記お願いします。

※ 親子の部門は距離約7km、標高差は約177mあります。
※ 個人、駅伝部門は距離約25.7km標高差は約310mあります。
※ 清河八郎や庄内町に関するクイズの回答も時間に影響する大会です。
  申し込み頂いた後にお送りする資料から出題されます。

▼ 大会の要項はちらしを参考にしてください。お問い合わせ頂ければ詳しい資料をお送りします。ご参加をお待ちしております。

pdficon_large.gif 大会ちらし

詳細は、清河八郎顕彰会のブログをご覧ください。

タグ:お知らせ
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2012年08月05日

恵比寿村の暑気払い・・・

image_kyokucho2s.gif8/4(土)も暑く連日真夏日が続いている。

この暑さを吹き飛ばそうと「うどん県」や「松戸村」などから11名の会員が恵比寿村のピザ屋”ヴァポレット”に集合した。
12:00集合にもかかわらずのどに乾きを覚えたビール党4名が早々と集合時間の30分も前からテラスに陣取り”エビス生”でのどを潤す。

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新婚のM夫妻、最近婚約を発表した専修大学O教授とFさん、「青山のカリスマ美容師」と異名を取る専修大学のK教授、千葉大生のNさんとKさん、うどん県からこの日の為にシンポジウムの日程を合わせたと言われる香川大I教授、息子の結婚に感極まって号泣したHさん、NHKの朗読教室の初級コースを優秀な成績で終え中級コースを狙うSさん、今日のピザ会を取り仕切る不肖クマジィという個性派集団が総会以来、久しぶりに再会した。

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「ヴァポレット」とは、ベネチアの水上バスを言う。
なるほど、店内の装飾をよく見ると水上バスをイメージした造りとなっている。
店の中央にはピザ窯が据えられピザ窯を取り囲むようにカウンターが数席配置されている。
入り口の近くに11名の席が用意され12:00から”暑気払い”が始まった。

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会員の近況報告からまちネット前半の報告会と今後の活動など、前菜の盛り合わせにO教授が選んでくれたワインを飲みながら舌鼓を打つ。和やかに話も弾む。数種類のピザやパスタに合わせたワインはなかなかの味で予算のことはいつしか忘れてぐいぐい進む。
今日の大きな話題は何と言っても「白洲次郎」だった。
日経新聞に掲載されるや焼津市に住むIさんから電話を頂き、蔵王でスキーを楽しむ白洲次郎やヒュッテ・ヤレンで仲間に珈琲を淹れたり、ソファーでくつろぐ白洲次郎の写真など50点ほど焼き増しして下さった。

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また、建築の専門誌や山形のタウン誌などからの執筆依頼など、白洲次郎のカリスマ性をまざまざと思い報された。
また山形新聞社さんからも新聞に掲載したいという連絡も頂いた。
2時間のランチタイムは軽くオーバー、お店を出たのは午後三時を遙かに回っていた。

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タグ:活動記録
2012年08月01日

建築ジャーナル2012/08:白洲が夢見た東洋のサンモリッツをつくろう!

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「建築ジャーナル」2012年8月号に
「旧白洲山荘保存・活用の会」の取り組みが紹介されました。



pdficon_large.gif建築ジャーナル2012/08
白洲が夢見た東洋のサンモリッツをつくろう!