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2012/04/7(土)「山の手さくら回廊散策のススメ」参加者募集!
いよいよサクラの季節になりました。
4/7(土)恒例になりました「山の手さくら回廊散策のススメ」を行います。
恵比寿ガーデンプレイス〜茶屋坂〜目黒川〜西郷山公園〜代官山〜恵比寿ドグダミ荘〜ガーデンプレイス、締めは恵比寿生で打ち上げ!
都会の桜見学も風情がありますよ。不肖クマジィが案内役を・・・ということで、昨年は震災もあって開催を見送りました「山の手さくら回廊」、2年ぶりの開催となります。クマジィさんのコメントにあるとおり、都会の桜もなかなかのもの。いくつか写真でご紹介しましょう。



最後は代官山ヒルサイドテラスにある枝垂れ桜。
なんとも風情のある桜で、花の付き具合や色味が毎年変わります。
今年はどうでしょう?
ゆっくり歩いて、おおよそ5キロのコースです。
目黒川沿いにはチーズケーキで有名な「ヨハン」もありますし、時間があれば、代官山の旧朝倉家住宅(重要文化財)など都会とは思えないオアシスもご紹介できるかもしれません。
桜の開花状況によって予定変更もあるかもしれませんので、参加を希望される方は事前にご一報ください。
元気・まちネット:矢口
yaguchi.m@so-kk.jp
2012/03/11(日)庄内町
3/10(土)の元気・まちネット総会&自主公開講座の後、夜行バスで庄内町へ移動、翌11(日)の午前中は、庄内町の清河八郎顕彰会の皆様と来年度の事業についての打ち合わせ、午後からは、清河八郎没後150年顕彰事業/劇団響特別公演「お蓮」を鑑賞させていただきました。
清河八郎の妻「お蓮」さんを取り上げたこの劇は、清川出身の脚本家:柘植徳井(つげ・とくい)さんによるもので、地元の「劇団響」をはじめ、鶴岡市の劇団「表現舎刻一刻」、そして町民のみなさん、総勢約20人が役者をつとめ、10日(土)11日(日)の二日間上演されました。
3時間の長丁場でしたが、役者の皆さんの熱演にぐいぐいと引き込まれ、お蓮さんの真っすぐで凛とした姿に目頭を押さえつつ、時間の長さは全く気になりませんでした。
チケットは全てSOLDOUT、当日は朝早くから良い席を求めて行列ができるほど・・・。両日あわせて1000人以上の方々が鑑賞されたそうです。以下は、矢口からの報告です。
幕末の志士清河八郎の妻で名は”お蓮”さんという。
鶴岡の「うなぎや」で遊女として働いていた「高代」の知的で物静かな姿に惚れ、親の反対を押し切って妻に迎える。
泥中に咲く花”蓮”に例え、名を”お蓮”と改め、仙台で所帯を持って江戸へ上がり文武両道の「清河塾」を開塾、幸せな生活も長くは続かなかった。
「桜田門外の変」を受け、文武両道に励むはずだった清河八郎も尊皇攘夷から倒幕へと心が移り変わっていく。
幕府の罠にはまり町人切りの罪で追われる身に・・・
お蓮は清河八郎を逃した罪で小伝馬町の牢屋に入れられ、拷問の末に命を落とす。
清河八郎没後150年を迎える庄内町清川の響きホールで”お蓮”を観賞した。
途中15分の休憩を挟み3時間にわたる劇も全然長いとは感じなかった。
清河八郎を献身的に支えた”お蓮”さんを地元の市民劇団の役者さんが見事に演じきった。
あまりの熱演に不覚にも涙が止まらなかった。
再演が望まれる。
山形新聞にも上演の記事が掲載されていました。
2012/03/10(土)元気・まちネット第2回総会&自主公開講座

当日は年度末ということもあって、大変お忙しいなか、香川大学の石井教授をはじめ、ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。

会員の皆さまには後日議事録をお送りいたします。
白洲次郎生誕110年記念トークイベント「樹氷・温泉・白洲次郎を熱く語る」総括
厳冬期の蔵王の寒さは本物で2日間ともお天道様を見ることは叶わなかった。
それにも関わらず会場となった体育館に遠くは北海道、福井、福岡から定員30名に対し、予想を遙かに超える45名の白洲次郎ファンが集い熱いトークイベントが交わされた。

兵庫県三田市にある白洲次郎・正子が眠る墓を毎年命日に参る人、白洲次郎を語る福岡の会を創った人などなど本人とは会ったこともないのにこれほどまでに人を惹きつける白洲次郎の魅力はナンなのだろう。
サッカー日本代表キャプテンの長谷部選手が'本田選手のバッグからのぞく白洲次郎の文庫本を見て尋ねると「えっ? 白洲次郎知ってんの?」と逆にビックリされたとか、いやはや・・・

白洲次郎という希代の人物が山形県蔵王に残してくれたものとは何だったのだろう。
私はそこに見たモノはプリンシプル(原則、筋を通す)という”精神性”ではなかったかと思っている。
『熱心にやり出したのは日本に帰ってからの28,9歳のときからである。冬はいつも熱心に山スキーに行っていた。春になるとやることがなく、ゴルフをした。そろそろゴルフ屋というのがはびこりだした頃である。
またスコアばかり気にする人もいる。私などは如何にその夜の酒をよくするか、ということでやっている。
山が好きでね。山を歩く方法にスキーをやるんだけれども、東北人から文句がくるんだ。「どうしてお前、信州へスキーに行くんだ。東北の蔵王に雪があるのに・・・」だから、僕は志賀高原の小屋を処分して、東北に造ろうと思ってるんだ。
(−1957年(昭和32年5月)扇屋正造との対談−』)

鎮守の森とは、かつては神社を囲むようにして、必ず存在した森林のことで杜の字をあてることも多い。
神社を遠景から見ると、たいていはこんもりとした森があり、その一端に鳥居がある。鳥居から森林の内部に向けて参道があり、その行き当たりに境内や本殿があり、その背後には森林の中央部が位置するようになっていて、森の深い方に向かって礼拝をする形になっている。このことからも「社(やしろ)が先に在ったのではなく、信仰された森に社が建てられたことが良く解る。
鎮守の杜とは本来、森林や森林に覆われた土地、山岳(霊峰富士や山形であれば蔵王権現や出羽三山など)・巨石や海や河川(岩礁や滝など特徴的な場所)など自然そのものが信仰の対象になっている。―ウィキペディアより抜粋―
蔵王プロジェクトM・Jは白洲次郎が蔵王に残した”精神性”を大切に守りながら、旧白洲山荘を「鎮守の杜=核」として位置づけ、このエリアから「スキー場一辺倒」の考えから脱し、「山岳・温泉保養地=蔵王=東洋のサンモリッツ」の蔵王温泉として、再生への提言としたい。
「蔵王プロジェクトM・J」に関わってくれた建築家S氏とN氏・K女史、建築工務所代表のO氏、木造建築構造専門家のH氏、元気・まちネットのS女史にはこころより感謝したい。
実現するにはまだまだ続きがあるのだが、このトークイベントは一つの大きな節目となった。
(元気・まちネット掲示板より抜粋)
清河八郎回天の道・六十里越街道広域連携懇談会パート2

希しくも、2/25山形新聞社説に”本県から「幕末」を発信”というタイトルでまちネットが取り上げられたばかりでした。余りにもタイミングが良すぎて驚いています。
山形新聞2012/02/25(土)社説

3/10(土),11(日)に没後150年を記念して妻お蓮の演劇が上演される庄内町清川出身の幕末の志士「清河八郎」。彼を通じて山形県から継続して「幕末」を発信してほしいと、山形新聞の社説に取り上げられました。
山形新聞2012/02/25社説:清河八郎の妻お蓮描く演劇
本県から「幕末」を発信