
「白河以北はひとやま百文」と言われ続けてきた中でも解るように地政学的に無理な話ではなかったろうかと思われる。
そんな中、山形には清河八郎とおう希代な志士がいたことを改めて知らされた。
西には天誅組と称する尊王攘夷派の武装集団がいた。
藤本鉄石、吉村寅太郎、松本奎堂と3人の総裁がいてその中の藤本鉄石(志士・書画家)が諸国を歴遊中、庄内を訪れ八郎の生家の客人となり長逗留した。
このとき清河八郎は藤本鉄石の影響を色濃く受け、18歳のとき江戸へ向けて出奔する。
先日の山形新聞に大阪府藤井寺に住むKさんという方から「清河八郎を全国区に」という投稿があった。
そのご、私からKさんに連絡をとり意気投合、いわゆるメルトモとして情報交換をさせて頂いている。
5/25(土)付け山形新聞「社説」に”本県から「幕末」を発信”という見出しで「まちネット」のことが取り上げられた。
2012年度の「元気・まちネット」はまたまた多忙を極めることになるだろう・・・嬉しい限りである。
【元気・まちネット掲示板より転載】