2011年12月26日

朝日新聞(山形)2011/12/14 白洲次郎の別荘保存へ 蔵王温泉「ヒュッテ・ヤレン」東京のNPOが活動

20111214asahi_yamagata.jpg12月10日(土)蔵王温泉でのミニ・フォーラムについて、12月14日の朝日新聞(山形)でも紹介されました。

(朝日新聞:山形2011/12/14)
pdficon_large.gif白洲次郎の別荘保存へ 蔵王温泉「ヒュッテ・ヤレン」東京のNPOが活動


2011年12月13日

2011/12/10旧白洲次郎山荘と蔵王を語るミニフォーラム開催

20111211yamasin.jpg12/10(土)山形市蔵王温泉の蔵王体育館にて「旧白洲次郎山荘と蔵王を語るミニフォーラム」を開催いたしました。
当日は地元蔵王温泉の方々をはじめ、山形市内、仙台市などから、約70名もの皆さまにお集まりいただき、その模様が翌日の山形新聞に紹介されました。

(山形新聞2011/12/10)
pdficon_large.gif「白洲山荘」財産に;地元の蔵王で活用探るフォーラム

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以下、矢口からの報告です。20111210zao.jpg

9:30山形駅で渋谷さんにピックアップして貰い蔵王に向かう。
山の方には随分雪が降ったようで蔵王のスキー場開きにはちょうど良かった。
今シーズンの雪ははどうなるのだろう・・・
 
奇しくも日経新聞夕刊には、スキー場関係者には嬉しくない記事が大きく報道された。
私は3・11以前から経済の低迷、外国資本による山(森)林(水資源)の買い占め、ナラ・ブナ枯れ、スキー場を抱えたまち、Mt,6問題(蔵王、草津、妙高赤倉、志賀、野沢、白馬・八方の奢り)などを取り上げて来た。
しかしスキー場を含むスキー業界は本当に手を打ってきたのか甚だ疑問に感じる。
 
いくら私一人が力んでみてもスキー業界が再生出来る妙案は思い浮かばない。
 
20111210jaren.jpgただ、ふるさと蔵王にはあの白洲次郎氏が建てた山荘(ヒュッテ・ヤレン/現三宅山荘)が現存する。
そこで思い切って所有者のM氏にお会いして私の考えを聞いて頂いた。
所有者の方も”趣旨”に賛同して下さった。
私一人ではとてもあの白洲山荘を守れるものではなく、早速仕事仲間である建築家のS氏に相談したところ「面白いから手伝うよ」と快諾してくれた。
 
あれから半年、建築家(意匠)3名、木造の構造専門家1名、施工の専門家1名に私(造園家の端くれ)を入れた6名で現場となる蔵王スキー場に行くこと3回、地元では白洲次郎と会ったことのある人物にも聞き取り調査をすることが出来、外観・内観の建物診断を行い、東京に戻って5回の会議を重ね、報告会・フォーラムを開催出来る最小限の課題整理をすることが出来た。
 
20111210miniforum.jpg12/10(土)いよいよ『旧白洲次郎山荘と蔵王を語るミニフォーラム』を開催。
参加者は思った(50名)よりも多く65名を越える白洲ファンで開場は一杯になった。
新聞社も3社、テレビ局も2社取材に来てくれた。
東京からも仙台からも参加してくれて熱い思いを語って頂いた。(新聞記事を参照されたし)
 
2012年2月『仮称:白洲次郎生誕180年記念イベント/樹氷・温泉・白洲次郎を熱く語る』フォーラムの開催をたくらんでいる。来年は保存・活用に向けた勝負の年となりそうだ。
 
特に「白洲次郎を語る山形の会」の皆さんに基調なアドバイスをして頂いた。
地元関係者の皆様始め建築仲間、スタッフに感謝したい。有り難う!!
2011年12月12日

2011/12/09「回天の道・六十里越街道広域連携懇談会」

2011210yamasin.jpg12月9日(金)山形市の霞城セントラルで、「回天の道・六十里越街道広域連携懇談会」を開催。その模様が12/10の山形新聞に紹介されました。

庄内と内陸を結ぶ「回天の道・六十里越街道」沿いには魅力ある資源が豊富にあります。
私たち「NPO法人元気・まちネット」は、各自治体のご要望を中立的な立場から精査・検討して皆さんと活発な議論をしながら各地域の“つなぎ役”として、継続して活動・展開出来るメリットを持ち合わせており、広域連携の旗振り役(ファシリテーター)として、その魅力ある地域資源を公平・中立的立場で全国に情報発信出来ると確信します。


今回は、庄内町、鶴岡市、西川町、寒河江市、山形市、上山市、村山市から、市町村や地域づくり団体の関係者など約20名の皆様にご参加いただき、私たちの提案をもとに様々な意見交換を行いました。

pdficon_large.gif(山形新聞2011/12/10)
「回天の道」と六十里越街道テーマ;広域観光可能性探る

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以下、矢口からの報告です。

kaitennomichi.gif『回天の道・六十里越街道の広域連携による観光振興について』と題した懇談会を霞城セントラル23階「高度情報会議室」で元気・まちネット主催で行われた。

幕末の風雲児「清河八郎」は18歳のとき、向学心に燃えて郷里清川(現在庄内町清川)から、山伏峠、羽黒山麓、六十里五街道、西川、寒河江、山形、上山は楢下宿を通り江戸へ向かった。約150kmに及ぶ山道を追っての目を逃れ3日間(1日平均50km)で歩き抜けた。

今は道路も整備され当時の面影が残っているのは多層民家(2軒)がある田麦俣から西川町の志津温泉までの約20kmとなっている。しかし途中には僅かながらも宿場や石橋など当時を彷彿とさせる場所も残っていることから、この街道に沿う7市町(庄内町、鶴岡市、西川町、寒河江市、中山町、山形市、上山市)が行政の目に見えない壁(境界)を越え、広域連携をすることで新たな観光資源の発掘、振興に結びつけられるのではないかと考え、観光課、観光協会の関係者に声をかけさせ集まって頂いた。

20111209kouikirenkei.jpg12月議会で多忙にもかかわらず20名(1市町2名でも14名)の参加者を得ることが出来た。

実は数年前『六十里越街道広域連携プロジェクト協議会』が庄内の鶴ヶ岡城と内陸の山形城を結んで観光振興を目的とした組織が立ち上げられた。
しかし残された「報告書」から当時の経緯を僅かながら伺い知ることが出来るだけとなった。

元気・まちネットはこの報告書を参考にしながら内陸と庄内を結び、新たな観光資源の発掘と、点から線、そして面へと展開して山形の歴史街道の振興策を図ろうと考えている。

2時間30分という長時間にもかかわらず、積極的な意見・提案を頂くことが出来た。
2012年始めからこのプロジェクトの推進役をやってみたいと強く感じた意義ある懇談会であった。

 
posted by c at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 清河八郎
2011年12月05日

広域連携懇談会

image_kyokucho2s.gif日比谷公園の巨木イチョウ(通称:首掛けイチョウ)も色づいたと今朝の毎日新聞は伝えていた。
田舎は紅葉シーズンも終わり、いよいよ冬(雪)に突入する。

週末、ふるさと山形ではまちネットが主導しての懇談会が3つ連続して行われる。
@09日(金):清河八郎/回天の道・六十里越街道広域連携に於ける観光振興について
A10日(土):旧白洲次郎山荘と蔵王を語るミニフォーラム
B11日(日):藤沢周平・司馬遼太郎文学研究会での講演

@は「元気・まちネット」のメンバー(橋田、佐野、大沼、矢口)が山形新聞の同行取材を得て、幕末の志士・清河八郎が18歳のとき、向学心に燃えて江戸へ向かった「山形路約150km)を2回に分けて踏査・検証した。
この山形路には現在4市3町が含まれ、庄内地方(主に酒田市、鶴岡市)と内陸地方(主に山形市、上山市)を結ぶ、重要な交易路としても出羽三山(羽黒山/過去、月山/現在、湯殿山/未来)参詣への道としても利用され、山形県にとっては過去も現在も未来に渡って活用することで発展出来る重要路でもある。

かつて県内では何度かこの「広域連携」を模索して活動を展開したことがあった。
しか〜し、所詮「広域連携」とは名ばかりでいわゆる「総論賛成、各論反対」で終わってしまうのが現状である。
何故なら自治体は担当者は2,3年で移動、首長は4年で交代する。
これでは「広域連携」とか「持続性」は保たれない。

そこを「まちネット」が旗を振って(ファシリテーター役)盛り上げれば「公平・公正」な活動が持続的にできると考え、この「懇談会」を持ちかけた。反応は良く7市町村から17名(あと2,3名も近く出席予定)を越える参加表明があった。

これこそ、地域に眠る資源を掘り起こし新しい展開(イノベーション)を図れば「地域活性化」が可能であると思っている。
要は誰かも言っていたけど「作文をつくる段階をこえ、活動をおこす段階に入っている」と・・・同感である。

【元気・まちネット掲示板より転載】
posted by c at 13:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 清河八郎