2018年06月03日

6月23日(土)公開セミナー「道がつなぐ文化・風景・地域」

今年2018年は、イギリス人女性旅行家イザベラ・バードが来日して140年という節目の年。元気・まちネットでは、2007年から2008年にかけて、”東洋のアルカディア(桃源郷)、エデンの園”と称賛した山形路約200kmを山形新聞社の同行取材を受けながら踏査・検証を行い、2008年、代官山ヒルサイドテラスホールで、現学習院大学教授:赤坂憲雄氏(民俗学者、当時東北芸工大教授)をゲストに迎え、シンポジウム『130年目の日本奥地紀行/イザベラ・バードを語る』を開催、その後山形県内で4回のシンポジウムと数回にわたる旅企画を催し、イザベラ・バードの功績を称えて来ました。

あれから10年、この度、JLAU(一般社団法人ランドスケープアーキテクト連盟)との共催で、「道がつなぐ文化・風景・地域」と題した公開セミナーを6月23日(土)開催することが決まりました。


今回は、ドイツ文学者でエッセイストの池内紀氏をお迎えして「イザベラ・バードがみた明治の日本」と題した基調講演をお願いしています。

旅が大好きな池内先生には、2012年(山形県金山町)、2014年(山形市)に於いてもお話しを伺っております。著書「なぜかいい町一泊旅行」にも、”ロマンチックな町”とバードが称賛した金山町も取り上られています。


多くの皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。

2017年11月06日

2017/11/18(土)「最上峡の歴史・文化フォーラム〜日本遺産・出羽三山“生まれかわりの旅”〜」を開催します!

「最上川・陸羽西線活性化委員会」は、戸沢村と庄内町を流れる最上川と並行して走る国道47号線、そして陸羽西線の活性化を考え、2015年夏に戸沢村と庄内町の有志が境界の壁や肩書を超え、ボランタリー精神で活動を開始しました。
昨年、今年10月には「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権」を開催、また、最上川沿線の景観づくりの一環として、サクラやモミジ、ヤマユリやヒガンバナを植栽して賑わいを作り始めました。こうした活動の報告と、最上峡の歴史・文化を考えるフォーラムを開催いたします。
皆様のご来場をお待ち申し上げます。


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写真をクリックするとPDFファイルがダウンロードできます。



最上峡の歴史・文化フォーラム
〜日本遺産・出羽三山“生まれかわりの旅”〜


【開催日時】平成29年11月18日(土)13:30〜16:30(予定)
【開催場所】庄内町清川公民館
【参加費用】無料
【募集人員】50名(定員になり次第、締め切ます)


基調講演:『松尾芭蕉と最上川』 梅津保一氏
【梅津保一氏プロフィール】
1941 年山形県尾花沢市生まれ。
山形大学教育部卒業後、 宮内高校・新庄南高校教師となり、2002年真室川高校校長を定年退職。山形大学非常勤講師、尾花沢市歴史文化専門員、山形県米沢女子短期大学非常勤講師、山多賀史学研究会副会長、県地域史研究協議会常任理事、NPOおくのほそ道ネットワーク理事・おくのほそ道大学学長、東北観光推進機構「おくのほそ道研究会」座長を務める。


【スケジュール】
13:00〜13:30:受付
13:30〜13:40:開会挨拶
吉宮 茂 (最上川・陸羽西線活性化委員会 幹事)
13:40〜14:00:活動報告
高橋 茂 (最上川・陸羽西線活性化委員会 会長)
14:00〜15:15:基調講演
梅津 保一氏『松尾芭蕉と最上川』
15:15〜16:30:パネルディスカッション
案内役:矢口正武(元気・まちネット代表)
阿部 金彦氏(庄内町商工観光課専門員)
斎藤 幾久氏(庄内町観光協会専門員)
佐野 千晶氏(元気・まちネット理事)
16:30 フォーラム終了


【お問い合わせ・申し込み先 】
氏名・住所・連絡先をご記入の上、電話、またはFAXでお申し込みください。
庄内町観光協会
〒999-7781 山形県庄内町余目字沢田108-1
電話:0234-42-2922
FAX:0234-43-6422



主  催 : 最上川・陸羽西線活性化委員会
企画協力 : NPO法人元気・まちネット(東京)
協  賛 : 戸沢村観光物産協会、 庄内町観光協会、 清河八郎顕彰会
後  援 : やまがた社会貢献基金(山形県)


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2017年11月05日

六十里越街道イベント可能性調査

「仮称:六十里越街道トレラン」開催が可能か?・・・西川町観光協会(山形)の依頼を受けて、9月16日(土)〜17日(日)の2日間、まちネットのメンバー5名で西川町を訪問した。

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メンバーは副理事の高橋さん、理事の橋田さん、佐野さん、そして現役バリバリアスリートの伊藤君と私で、15日(金)23:00、高橋さんの運転で恵比寿を出発した。翌16日(土)志津温泉民宿「ゆきしろ」に午前7:30到着、休む間もなく、観光協会専務理事:後藤さん、六十里越街道保存推進委員会委員長:志田さんの説明を受け、9:30合計7名で、峠道の調査に向かった。

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六十里越街道はその昔、出羽三山の参詣道として山形市七日町から羽黒山までの約100kmの道のりで、現在では、西川町から隣接する鶴岡市あさひ地域までの約40kmが旧道として現存する。

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170年前、幕末の志士清河八郎も江戸へ出奔するときに通った道で、橋田さん、佐野さんと2009年と2010年の二度に渡り、山形新聞の同行取材を受け踏査・検証した思い出深い峠道でもある。

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また、橋田さん、佐野さんとは月山春・夏スキーで毎年のように訪れていたこもあり、ある意味勝手知ったる土地柄でもある。

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街道40kmのうち、標高差の大きい志津温泉から湯殿山ホテル跡地までの8kmを約5時間かけて、景観(眺望)や足場、沢わたり区間などをアスリート目線や主催者側の目線に立って調査を行った。

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途中標高1,410mの大岫峠(おおぐきとうげ)の眺望地点で昼ごはん、アドベンチャー大会やトレラン大会の思い出話などをしながらしばし休憩、下り基調のコースを大会をイメージしながら湯殿山ホテル跡地に到着したのは14:30、一番若い伊藤君は今きた街道を走って帰って行った。(笑)

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六十里越街道を覆うブナ林の中を走るコースはランナーに一服の清涼感を与えてくれる最高のコースと言えた。

山形新聞2017/10/04

9/16(土)〜17(日)「六十里越街道トレラン&ウオーキング大会」の可能性調査を依頼され、6名で調査に行って来ました。標高差約900mのブナ林に覆われた峠道を約8kmほどを5時間かけて調査して来ました。

2017年11月04日

山形新聞2017/09/27

9/26(火)戸沢村若者交流センターに於いて、酒田にある「県港湾事務所」、「酒田港女みなと会議」(いづれも陸羽西線終点の酒田にある)、そして、「最上総合支庁」(陸羽西線始発駅の新庄にある)の観光振興室の担当者にお出で頂き、陸羽西線&最上川観光振興について、それぞれの立場から意見交換させて頂きました。
任意団体だからこそ、肩書や垣根(行政の境界)を超えて出来る絶好の機会でした。
翌日の山形新聞に掲載されましたので、ご紹介します。

2017年09月02日

2017/10/28(土)「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権」を開催します。

今年もやります!皆さん奮ってご参加ください。



やまがた社会貢献事業
「最上川・芭蕉しろうとハイク(俳句)国際選手権」
〜最上川舟下りと日本遺産・出羽三山 生まれかわりの旅〜

開催日   平成29年10月28日(土)
募集人員  30名(最小催行人数15名)
参加費用  お1人様3,500円

※舟下り・バス代・ご入浴・保険・茶菓子代は含む。その他、昼食代・飲食代は自己負担となります。

募集期間  9/1(金)〜10/16(月)まで
お申込み・企画協力
NPO法人元気・まちネット 矢口正武
TEL 090-5494-8699 / FAX 03-3711-1403

事業主催  最上川・陸羽西線活性化委員会



スケジュール
最上川舟番所(9:00集合)==最上川舟下り==清河八郎記念館・公民館(昼食)==羽黒山(石段登り)==北月山荘(表彰式・懇談会)==最上川舟番所(16:40解散)

  • 石段を登るのが無理な方は、いでは会館見学後、羽黒山山頂までお送りします。
  • ご昼食会場は清河公民館の和室となります。
  • 新庄駅8:12→古口駅8:31、余目駅8:01→古口駅8:31のJR利用の方は自己負担となります。
  • 北月山荘ご宿泊希望の方は9/15(金)までに矢口へお申し込みください(1泊2食付7,500円)



旅行主催 最上川交通株式会社
協  賛 最上峡芭蕉ライン観光株式会社
     庄内町観光協会
     戸沢村観光物産協会


俳句ができなくても、ハイクができれば大丈夫!お気軽にご参加ください!!

lli06.gif昨年春の模様は、こちらをご覧ください。


2017年09月01日

2017/08/25(金)彼岸花の植え付け(その2)

2回目(約900球根)のヒガンバナ植栽を行いました。
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今回は片倉地区の大きな一本杉(モクレン含む)周辺と砂利道沿いに約600個、残りは清川の芭蕉像周辺と御殿林に植えました。

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片倉地区は回天の道や羽黒古道に繋がる旧道で、天気が良ければ前方に月山、後方には鳥海山が眺望できる絶景の場所になります。

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7/26に植えたヒガンバナはすでに咲き始めていました。

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この調子でいけば9月頃には県道からも見えることと思われます。

タグ:植栽事業
2017年08月16日

荘内日報2017/06/01

清河八郎の妻お蓮さんの梅の木の苗木を分けていただけることになり、今年5月30日の清河八郎例大祭に清河神社に移植、160年越しの嫁入りとなりました。

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タグ:新聞
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山形新聞2017/05/31

清河八郎の妻お蓮さんの梅の木の苗木を分けていただけることになり、今年5月30日の清河八郎例大祭に清河神社に移植、160年越しの嫁入りとなりました。
タグ:新聞
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お蓮さんの梅の木・・・

 幕末の志士清河八郎(1830~1834年)には、“お蓮”(本名:菅原高代)という妻がいた。

 1855年(安政2年)4月15日、25歳の八郎は母亀代(40歳)を伴い、半年間に及ぶ諸国漫遊の旅をして、実家のある清川村(現山形県庄内町清川)に帰ったのは10月20日のことだった。江戸からは友人の安積五郎も同行する。実家に戻った八郎は、安積五郎を誘い鶴ヶ岡八間町の妓楼うなぎ屋で遊び1泊、翌日うなぎ屋から呼んだ女たちを湯田川温泉で唄わせ、酒を呑ませ、自分たちも浴びるほど呑んだ。安積は元禄の昔、吉原で金銀をまいて女たちに拾わせたという、紀ノ国屋(文左衛門)のことを思い出し、節分の豆まきを真似して、金をばらまいた。
 女たちは嬌声をあげて座敷を這い、落ちた金を奪い合った。そのとき、ふと一人の女に目を奪われる。一人だけ部屋の隅に座って、騒ぎには加わらず、ひっそりと座敷の混乱を見ていた。その夜、八郎はうなぎ屋に戻ると、高代というその女を呼んだ。「何もしなくてもよい。一緒にいてくれれば良いと・・・」その後、あの清らかな高代を忘れることが出来なかった八郎は、素封家の長男に遊女を嫁にとるわけにはいかないという猛反対を押し切って一年後に身請けをすることになる。「蓮は花の君子なる者なり」と続く宋代の儒者:周廉渓「愛蓮の説」の一節、「泥中から出て、清く香る蓮」こそ、高代の名にふさわしいと“お蓮”と名前を変えた。−西遊草より抜粋−

 祝言をあげることは出来なかったものの1856年(安政3年)仙台で所帯を持ち、江戸に戻ると二度目となる清河塾を淡路坂に開塾、北辰一刀流千葉周作道場で生涯の朋となる山岡鉄太郎(後の山岡鉄舟)と出会う。しかし、それもつかの間、江戸の大火で塾は焼失、三度目となる塾を神田お玉が池に開塾するが、江戸の政情は不安定なり、ついに1860年(万延元年)井伊大老が暗殺される。それに衝撃を受けた八郎は山岡鉄舟、高橋泥州らと“虎尾の会”を結成、尊王攘夷へと突き進む。翌年、町人切りの汚名を着せられ逃亡を図るも、逃亡の手助けをしたとしてお蓮や弟・同志が捕縛され入牢、1862年(文久2年)お蓮は八郎に遭えぬまま獄死する。

 八郎との生活はたったの6年に過ぎなかった。

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お蓮さん(旧姓高代)の生家には樹齢300年を超える梅の古木が現存する。
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2015年6月、私は鶴岡市熊出(くまいで)にあるお蓮さんの生家を訪問して、末裔となる菅原氏にこれまでの事情を説明、梅の古木を見せて頂いた。
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職業意識から梅の古木からの実生木(苗木)がないものかお尋ねしたところ、1mを超す実生木3本を育てているという。
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2016年、お蓮と所帯を持ってからちょうど節目の160年を迎えた。この機会に八郎夫婦を清川の皆さんと共に祝ってあげたいと思い、10月、菅原氏に梅の苗木を分けて頂けないかと相談したところ、快く引き受けて頂くことが出来た。
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そして2017年5月30日(火)「清河八郎例大祭」に合わせ、「お蓮さんの梅記念植樹祭」を開催することが出来た。
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タグ:活動報告
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